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2024

1123
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2015

0117

今朝は先程、am5時ちょっと前に起きました。
いつもは寝てる時間ですが、
今日は5時20分には起きようと思ってました。
震災の起こった5時46分に、
震災番組を見ながら、手を合わせる為です。

関西テレビ(フジテレビ系)では、今日は4時25分辺りから、
『震災20年を見つめて』という番組が始まってます。
阪神淡路大震災の番組は、そのまま5時56分まで続きます。
9時55分からもお昼近くまで、また震災関連の番組が始まるのですが、
何となく、関西テレビが一番震災番組をしっかりやってくれる気がします。
ニュース番組や情報番組などで、
東北の被災地への復興支援を呼び掛けるのを、いつまでもやめなかったのも、
関西テレビだけ・・な感じでしたし。

まもなく・・・5時46分です。

1・17を象った竹灯ろうの周りには、
20年経った今でも、たくさんの方々がいらっしゃいました。
近くのビルには、1・17と20のカタチに、
明かりが灯された窓がありました。

5時46分・・・
手を合わせました・・・。

何を悲しい事を思い出した訳でもないのに、
自然と涙が出てきました・・・。

兵庫県神戸は、とっても強くて優しい人達がいっぱいいる、
とってもすごい街なんです!!
街もとっても素敵で、関西人の憧れです!!
とっても綺麗な街だったのに、
あの日、一瞬で壊れちゃって・・・

残酷な・・とっても残酷な震災でした・・・
たくさんの家や大きな建物が倒壊し、
その下敷きになって亡くなった方・・・
倒壊した建物に閉じ込められたまま、
近くで起こった火事に巻きこまれて焼け死んだ方・・・
折角、倒壊した建物から助け出されたのに、
クラッシュ症候群で亡くなられた方・・・
小さな子供の上に覆いかぶさるように守って、
自分は亡くなり、子供を生かした親・・・

先程見た、震災の番組でも、
こんなエピソードがあったので紹介します。

1月17日、震災の起こる3時間前に生まれた赤ちゃんがいました。
震災が起こり、近くで火事が起こり、
火の手が病院の方に向かって来そうだったので、
『いつでも、赤ちゃんを抱いて逃げる用意をしておいて下さい』
・・と、病院の方に言われ、
お母さんは赤ちゃんを抱いて、不安な時を過ごされてました。
その後風向きが変わったので、避難しなくてもすんだそうです。
そんな大変な時に生まれた赤ちゃんが、
今では立派な大学生となり、
東日本大震災の被災地へ、ボランティアに行ってるそうです。
自分の誕生日が大震災の日だから、
ずっとその事を胸に、新たに起こった震災にも、
心を寄せる事の出来る方になられてました。

まだ小さな妹のはるかさんが亡くなられた時、
お姉さんは、身を引き裂かれる様な思いだったそうです。
震災の起こった年の夏の事でしょうか・・
はるかさんが亡くなられた場所から、
たくさんの、ひまわりの花が咲きました。
はるかさんが可愛がっていたオウムの餌のひまわりが、
芽を出したのだそうです。
だけど、まるで亡くなられたはるかさんが起こした、
奇跡の様な話に思えました。
はるかさんのお姉さん達は、そのひまわりの種を、
子供達などに配って、広める活動をしていらっしゃいました。

震災の記憶を伝えるモニュメントは、
その後どうなったんだろうと思ってましたが、
今でも残されてる様です。

神戸には、小学生の様な小さな子供でも、
災害があれば、ボランティアに行きたいと、
しっかり答えてました。
あの日、震災遺児となった子供が、
今では東日本大震災の震災遺児の力になろうとしている話もありました。
あの日からこの街が、20年かけて培ってきた、
防災意識と、困った時に助け合おうとする優しい心が、
こういう子供達を育ててきたんでしょうね。

大きな災害があると、
いろんな事が変わってしまう・・・
大切な人がたくさんいなくなってしまったり・・・
街の様子が大きく変わってしまったり・・・

だけど悪い方向に変わる事ばかりじゃない・・・
いい方向に変わる事だって、たくさんあるんだ・・!!
今の強い神戸を見てると、そんな風に思えてきます。


後で知ったのですが、
福島県など、東北3県でも、5時46分に
ハート型に1・17をロウソクの火で象り、
黙とうしてくれてた事を知りました。
神戸と東北の、同じ悲しみ、同じ復興にかける思い、
様々な思いが、通じ合っている様に感じました。
何よりも、その事実に感動しました・・!!

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2014

0311

今日で東日本大震災から3年になります。

6分前にアラームを設定しておいて、
14時46分になったら、合掌して黙とうしました。
脳裏に海のイメージを想い浮かべ、
被災した方々の無念を思い、
犠牲となった方々には、
『どうか、やすらかに』
・・と祈りました。
自然と涙が出てきました・・。

この前の記事では、阪神大震災の事を書きましたが、
毎年1月17日になると、当時の被災者の方々が、
まるで昨日の事の様に涙を流されるのに、
まだ・・・たったの3年です。

いつまでも“被災地”、“被災者”と呼ばれるのは嫌だと言う話を
テレビなどで聞いた気がします。
ああ・・そうだろうな・・と痛々しく思います。
だけど、そこが被災地だと誰からも思われなくなったら、
義援金を送ろうと思う手が止まってしまうのではないかと、
余計かもしれない懸念があります。

そう言えば・・
神戸はいつまで“被災地”と呼ばれていただろうか・・?
今では神戸を“被災地”とは呼びません。
神戸は神戸、兵庫県・・っていうか神戸です。
そこに住む方々の心から、震災の傷は癒えてないかもしれませんが・・
町が綺麗になってきた頃から、
“被災地”と呼ばれなくなった様な気がします。
(あくまで私の主観であり、勝手な意見です)

“被災地”とか、“被災者”と呼ばれるのは辛いかもしれませんが、
そう呼んでくれる人は、
少なくとも、被災された方々と、その土地に対して、
哀悼の念を抱いている人々だと信じたいです。

震災のモニュメントを残そうという動きと、
それに反対される方々がいるという話を知りました。

後世に、この震災を伝えたいと切望するのが、
モニュメントを残したいという考えで、

忌まわしい記憶が思いだされ、精神的に苦痛なので、
残してほしくない、
または、モニュメント保存の為にかかってしまう必要経費を、
もっと町の復興の為に役立ててほしいと考えるのが、
モニュメントに反対される意見なのだと知りました。

どちらの意見も、もっともな意見だと思い、
私などには、正しい答えは出せないな・・
・・というのが正直な意見ですが・・
本当のところ、私の考えは以前から決まっていて、
辛くても苦しくても、モニュメントを残した方がいい・・
・・と思っています。

こんな話を聞きました。
広島にも、長崎にも原爆が落とされたのに、
何故か、広島=原爆のイメージが強いのは、
原爆ドームというモニュメントが残っているからなんだと・・
修学旅行などで、広島と長崎の両方の原爆資料館に行きましたが、
確かに、イメージが濃くて、
原爆と言えば、真っ先に思い出してしまうのは広島の方です。
モニュメントには、とても大きな力があるんだなと思えました。

聞けば阪神大震災でも、
メリケンパークにモニュメントが残っているのだとか・・

恐ろしい・・思い出したくない記憶でも・・
今生きている私達だけじゃない・・
もっともっと先の未来の人達に、
あの恐怖と教訓を、伝え続けなければいけない・・
モニュメントとなるものは、
撤去して捨ててしまえば、
少し心が楽になるかもしれない・・
でもそうしたら、それは二度と戻らないし、
新たに作ったりする事は決してできない・・

昔々に東北に生きた先祖の方々も、
当時はモニュメントを残す事など、考えも及ばなかったかもしれないけど、
(どんなしるしだったか覚えていませんが)
『ここまで津波が到達した、ここより海側に家を作るな』
・・という事を記した石碑などと残して、
未来の人々の安全を守ってくれましたよね。
もしかしたら当時だって、
津波がここまで来た・・というしるしを立てるだけでも、
思いだすから嫌だと反対する人がいたかもしれません。
だけどそのしるしは、今回の震災で、
確かに役にたったのだと聞きました。

ああ・・だけど・・だけど・・・
あの日の恐怖を思い起こさせるものが、
いつでも目に入る場所に今でも残っていたら・・・
怖いでしょうね・・・辛いでしょうね・・・
そんな事より今は、
少しでも早く、少しでもたくさん、
町の復興を急ぎたいですよね・・・
その思いを考えると、
今はまだ、未来の事を考える時ではないとも思えるし・・
本当に・・正しい答えなんか出せません・・・。

どうか、いい方法が見つかります様に・・・


昔は家がたくさん立っていて、
お店もあって、みんな楽しく生きていたんだろうな・・
・・と思われる町が、
今では雑草ばかりの荒れ地の様な姿になっているのを見て、
心が痛みました・・・

今では脳裏にしか残ってない・・
懐かしい町に思いを馳せる気持ちは一緒でも、
その場所に帰る事すら許してもらえない方々もいらっしゃいますよね・・
今回の震災は幾重にも残酷な仕打ちがありすぎて、
そんな中でも、健気に生きていらっしゃる姿を拝見すると、
頭の下がる思いです・・。

みなさんが、少しでも・・ほんの少しでも、
幸せを感じる事のできる毎日でありますように・・・


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2014

0117

最近、私自身がなかなかPCに向かわなくなった事もあり、
すっかり不定期更新になったこのブログですが・・

今日のこの日は忘れてはいけないと思い立ち、
何か一つでも書く事にしました。

本日は1月17日
早朝の午前5時46分に、
阪神淡路大震災のあった日です。

もしかして、近畿地方だけでしょうか?
阪神大震災の日が近付くと、数日前からニュースなどで、
この話題が取り上げられています。

神戸では毎年、
『阪神淡路大震災1.17のつどい』というものがあります。

日時=平成26年1月17日(金曜)5時~21時
場所=中央区東遊園地(神戸市役所南側)
5時
・ 「1.17(竹灯ろう)」点灯
・ 記帳・献花受付開始(~21時)
5時46分
・ 黙とう
 -神戸市震災19年追悼の集い-ご遺族と市長による追悼のことば、献花
14時46分
・ 黙とう
17時46分
・ 黙とう
21時
 『阪神淡路大震災1.17のつどい』終了

神戸市ホームページより抜粋)

いろんな言葉が書かれたたくさんの竹灯ろうを、
1.17の文字になる様に設置して、火を灯し、
5時46分に黙とうして、犠牲者を悼む行事です。

東北で被災された方の為に、3.14の文字の竹灯ろうも用意されていて、
14時46分に黙とうが行われます。

この様子を、ニュースで何度もやってましたが、
毎年この日になると、
朝早くからこの場に集まって来られる方々は、
まるでこの前の事の様に、この日の悲しみを語られています。

故人の方は・・

生きていれば、何歳になってる・・

自分ももうすぐ無くなった親と同じ歳になる・・

落ち着いてそう話される方もいれば、
今でも涙が止まらない方も・・・

1月17日の5時46分・・
この日、寒くて薄暗いこの時間にこの場に立つと、
あの日が甦ってしまうんだと思いました。

この日の苦しみや悲しみは、
この先何年経とうとも、忘れてはいけませんね・・。

あれから19年も経った・・・

だけど、未だ癒えそうにない悲しみがあふれていました。

東日本大震災の被災者の方が、
いつまでも震災の話をするのも・・・と、辛そうに話されているのを、
何かの番組で見ました。

辛くなったら、神戸の人達に見習ってほしいと思います。

あんな風に、いきなり何の前触れもなく、
大切な人の命や、住む場所を奪われたりしたら、
19年経っても、まるで昨日の事の様に辛いのです。
悲しみが時と共に消えていく訳ではないのです。

東日本大震災は、まだ発生してから今年でやっと3年ではないですか・・
まだまだ悲しい筈です。辛い筈です。
みんな前を向いている様に見えるし、
元気を取り戻した様に見えますが、
未だに進まない復興とか、故郷に帰れないでいる人は、
愚痴りたい事の方が多いでしょう。

何だか昨今の日本は、みんなの頭の中が、
東京オリンピックの事とか、都知事選の事とかで、
いっぱいになってる様ですが・・
(それ自体は悪い事ではないのですが・・)

きっとこの先、
少なくとも数十年以上もの間、悲しみを忘れられない人達がいる事を、
今日の神戸を見て、学んでほしいし、忘れないでほしいと思いました。

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2013

0311

お久し振りです。

前回の更新から丸一年・・・
何もブログに書く事が出来ず、無駄に時間を過ごしてしまいました。

この一年、何も書く事が無かった訳ではありません。

前回の、震災一年後についての記事を書いた後、
震災にいろんなカタチで関わった方の事を書いたつもりだったのに、

ボランティアをして下さった方々の事を書いてなかった事について、
しばらく後悔してました。

遅くても、その事について何か書こうかと思いましたが・・

ボランティアの方々は・・
自費で、まだ危険な被災地に赴き、
自分の危険も顧みず、何一つ見返りも求めず、
・・唯一求めるものがあるとすれば、
それは、自分が被災地の人々にとって、
何か一つでも役立つ存在である事。

そんな至上最高の、無償の愛を与えに行った人達の事を、
何の役にも立ってない私なんかが、
何を語る事が出来るのか・・・

何も出来ない無力な自分を責めながら、
何かから逃げていただけなのかもしれませんが・・

それでもこの一年、
毎日の様に、東北の事を思ってました。
思うだけでは、何の役にも立ちませんが、
忘れたフリをするよりはいい・・その程度なんですけどね。

東寺(京都)の弘法市に行った事があるのですが、
お坊さんが東日本大震災の義援金箱を下げて、般若心経を唱えられています。
お金を入れて、被災地の復興を思って手を合わせてお辞儀すると、
お坊さんもお辞儀をしてくれます。
東日本大震災復興祈願・・と書かれた、立派な祭壇もあります。
東寺からは、弘法大師様が被災地を見守って下さっていると思います。

テレビで、石神第一小学校の子供たちが歌う、
『福島から伝えたい』という歌を聴きました。
子供たちに、
ポジティブな気持ちはピンクの紙に、
ネガティブな気持ちはグリーンの紙に、
いろんな言葉を書いてもらって、その言葉を紡いで作った詞に、
先生がメロディをつけてくれた、素晴らしい歌です。
大好きな福島への思い・・
健気で、いたいけな子供たちの、切なる気持ち・・
世界中からのあたたかい思いに、感謝する気持ち・・
様々な思いに、心を打たれる詞に、
すごく素晴らしいメロディがつけられていて、
何度聴いても泣けてしまう歌です。

この歌について詳しい事は、
こちらを御覧下さい
⇒ 福島の未来を音楽でつくる会


さて本日・・
3月11日 14:46・・・
手を合わせて黙祷してみました。

今も海の底で眠っている、
家族の元へ帰れない御遺体の事を思って、
どうか・・・
今は家族の元へ帰れなくても、
魂だけは天上へ上がって、
東北が復興していく様を、そこから見守っていて下さい。
・・そんな風に祈っていると、
無性に悲しくなって、涙が出てきました。

遺体捜索・・・本日も行われていたみたいですね。
大変なお仕事ですが・・
どうか、少しでも早く、最後のひとりまで見つかります様に・・


震災の日から、2年が経ちましたが・・・

この2年を、
長いと感じられた方も、
短いと感じられた方も、
きっと無我夢中で生きてこられたからだと思います。

最初の1年は、生きていく事だけで精一杯で、
次の一年は、助けてくれる手や、心を寄せてくれる人が多ければ、
辛うじて生きていけるかもしれない・・
でもその後は・・・
次第に減って行く大震災への関心度・・・
まだまだ必要なのに、減って行くボランティア・・・
そんな寂しい思いをしていても、
もう政府や親切な人を宛にする訳にはいかないと、
自分を奮い立たせて頑張る人もいるでしょう。
だけど、家族をたくさん亡くされた方や、御老人などは、
悲しみ、寂しさから立ち直る事が出来ず、
気持ちを奮い立たせる事も出来ずに、
生きていく事を、諦めてしまわれる方もいらっしゃるかもしれません・・・・・・。

震災2年後・・・
ここからが長い長い戦いの始まりなのかもしれません。

どうか負けないでほしい・・

負けないでほしいけど・・・

何一つ助けてあげられない自分が歯痒い・・・
私の住む街は、震災瓦礫処理の受け入れを拒否しているらしい・・・

そんな状況を知った、被災地の人達は、
何が絆だ・・・と、悲しまれている話も聞きました。
私達は、遠い場所で勝手に思いを寄せていても、
所詮それは、安っぽい同情にすぎないんですよね。

いえいえ、解っています。
所詮その程度の同情でも、しないよりはマシ・・・。
だけど、自分個人の無力さを感じずにはいられません。

もし私の住む街が、何らかの災害で被災する事があったら、
きっとたくさんの優しい人が、助けてくれる事と思います。
被災地の現状は、決して他人事ではないのだと、
強く肝に銘じたいのですが・・・・・・。

福島の除染作業・・・
気の遠くなる様な大変さですね・・・。
小学校の除染作業などは、
学校の先生や、親達が頑張っている姿を見ました。
屋根の瓦を一枚、一枚、濡れた紙で丁寧に拭いている姿も見ました。
一度拭いた紙は、放射能がついているので、
その都度捨てなければいけないのだそうです。
また、濡れた紙はとても冷たく、辛い作業なのだそうです。
庭の土も入れ替えなければいけません。
除染の為に瓦を拭いた紙、
除染の為に掘り起こした土、
除染の為に使った水、
全て放射能廃棄物として、処理できないまま、
袋に詰められているようです。
震災瓦礫は受け入れてもらえず、
放射能廃棄物ばかりが増えていく一方で、
一体、本当の復興はいつになるのか・・・・・・

それでも・・・

途中でやめてしまえば、大好きな街に帰る事ができないから・・・

きっと悔し涙を飲んで、歯を食いしばって、

いつか、元の姿を取り戻す為に、
これからも頑張り続けるんでしょうね。

頭が下がります・・・。

そんな姿に対して、
頑張ってとか、負けないでとか、
どんな言葉も、安っぽく思えて、
正直、言葉が見つかりませんが・・・

やっぱり・・負けないでほしいです。

福島を応援する歌・・
先程紹介した『福島から伝えたい』や、
猪苗代湖ズ の『I love you & I need you ふくしま』など、
大好きな福島を想う歌がありますが、
他の地方へ自主避難された方達にとっては、
福島を捨てたみたいで、辛く聞こえるそうなのです。

・・・その人の気持ちになってみないと、
解らない事って、たくさんありますよね・・・。
その人達を責める為に作られた曲じゃないって、
もちろん解っていらっしゃるんでしょうが、
そんな理屈では解決できない辛さがありますよね・・・。

それもひとつの、
サバイバーズギルト的な考えに陥ってしまった・・・
・・という事なのでしょうね・・・。

どうか、気にしないでほしい。

福島から避難したからって、
逃げただなんて思わないでほしい・・・
捨てただなんて思わないでほしい・・・
只、生きていてくれたら、それだけでいい・・!!

折角、生かしてもらえた命なんですから、
生きる場所はどこだっていい。
生きてさえいてくれれば。
他の土地で、永住を決めた人がいる・・
昨日読んだ新聞にも、そんな事が書いてありました。
どこを終の棲家にしようとかまわないと思う。
大好きな福島に、思いを馳せてさえいれば・・
そしてこの先ずっとずっと生き続けて、
いつの日か、元に戻った福島を見届けてあげましょう。
きっとその時福島は、
『おかえり』と言って、迎えてくれると思います。

みんな本当に・・・
様々な想いをして、辛さや、寂しさに耐えて・・
それでも頑張って、生きてるんだなって思いました。

そう言う事考えてるだけで、涙が出てきちゃうんですが・・

こんなに遠くで、ひとりで勝手に泣いてても、
何の力にもなれない・・

でも、役立たずが勝手に、見守っています。

東日本大震災で、辛い目に遭われたみなさんへ・・・


遅くなり過ぎたけど、
拍手のお返事です

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2012

0311

去年の3月11日、
東北を中心に東日本では、
筆舌に語りつくせない程の悲劇があった・・・

あの日から、今日で1年・・・

東日本大震災を忘れる日は、一日もありませんでした。

このブログの更新はさぼっていますが、
⇒『気仙沼市立階上中学校卒業式答辞』の記事
・・こちらの記事へ頂いた、拍手メッセージのお返事は続けています。
(拍手ボタンを押していって下さった方も、本当にありがとうございます)

東日本大震災が起こった直後は、
どんなに未曾有の大災害でも、
時が経てば、次第に忘れられていくかもしれない・・・
そんな無駄な心配がありましたが、
この一年間・・
各テレビ局は、本当にたくさんの震災報道番組を放送し続けてくれたし、
今でも番組の最後に、
被災地への義援金のお願いをしている番組もあります。
関西のニュース番組『スーパーニュースアンカー』では、
アンカーマンを務める山本浩之アナウンサーが、
キャスターの仕事を他の人に任せて、
3.11までの1ヶ月間、各被災地から現地の様子を報道されてました。
(関西人は1.17の事もあり、被災地への関心が高いです)
おかげで、被災地で頑張る人の姿や、
未だに復興の進まない被災地を知る事が出来たし、
いつも被災地を忘れずに、心を寄せ続ける事が出来た気がします。

これらのテレビの報道のおかげでしょうか?
今回の大災害は、世界レベル的に、
あまりにも被害が大き過ぎたせいでしょうか?
1年経った今も、日本中のみんなが変わらず、
被災地に心を寄せている事が嬉しいです。
この思いを決して忘れずに・・
いつの日か・・
そこが昔、被災地だったことすら、覆い隠せるほどに、
見事な復興を遂げる事が出来た日がきても・・
それでも、3.11の悲劇は忘れない・・・
この先、何十年経っても、忘れないでいたいと思います。


この一年は本当に・・・

いろんな事がありましたね・・・

先程、被災者を励ます為の歌番組を観ていましたが、
SMAPが歌っていた、『世界に一つだけの花』を聴いていたら、
震災直後にSMAPが歌った、この歌の事を思い出しました。
日本中・・世界中が悲しみに包まれていたあの頃・・・
『世界に一つだけの花』を歌うSMAPが、
心の底から、被災者への思いを込めて歌っていたのを、
その歌声とか、表情から、ひしひしと感じる事が出来ました。
普通に聴いても、とってもいい歌ですが、
あの時SMAPが心から心を込めて歌った『世界に一つだけの花』が、
一番最高だった様に思えます。
(・・って、先程聴いたのが、ダメだった訳じゃないんですけどね)


自衛隊の方が、自らも被災者であるにも関わらず、
必死で救援活動をされていた事に、頭が下がります。
助けられた方々にとっては、命の恩人ですよね。
これ以上の功徳を積む方法があるでしょうか・・
素晴らしいお仕事ですよね。
津波に流される被災者の方の命を救ってくれた。
他にも助けを求めてる人を見つけると、
危ない場所へ飛び込んでいって、
夜通し、たくさんの人を助けてくれた。
救援物資を避難所に運んでくれた。
確か、宮城県の志津川高校だったと思う・・
校庭に書かれた、『HELP』の文字と、ヘリポートのマーク。
そのヘリポートのマークの上に、自衛隊のヘリが降下していくのを見た時、
何だか嬉しくて、感動しました。

遺体捜索・・・
これが一番、辛いお仕事だったでしょうね・・・
まだ若い隊員さん達は、
お葬式などで、人の御遺体を見た事すらない人もいたそうで・・・
お布団の上ではなく、
瓦礫の散乱する中や、倒壊した家屋の下敷きとなった方、冷たい水の中・・・
そんなところで、無残に亡くなられた方を探すお仕事・・・
御遺体を見つける度に、精神が参ってしまう事よりも、
御家族の方が喜んでくれる事を思い、
必死で捜索活動をされていたという話を聞きました。
辛かったでしょうね・・・・・・

被災者の為、被害者の為・・
辛い仕事をしている自衛隊の方々を慰める為に、
長渕剛さんが、激励ライブをされた話を聞きました。
参加された隊員の方が、そこに参加出来なかった、他の隊員の事を思い、
申し訳ない気持ちで参加しながらも、

「被災者のために立ち上がった日本人がいた。抱き締めたくなった」
「みなさんに、会いたくて会いたくて、たまらなかったよ~」
「この国が絶望に伏して、もう日本はダメだと思ったけど、
みんなの勇姿…そこに日本があった。
日本の誇り、僕の大事な大事な誇りです」


長渕さんの、自衛隊のみなさんへの言葉に感動して、涙ぐみながら、
みんなで肩を組んで声を合わせて歌っていた姿を見ました。

自衛隊の方々・・・
海上保安庁の方々も・・・
被災地のあまりの惨劇に・・・
精神的にはギリギリだったんだろうと思います・・・
被災者の方々の為に、被害者の方々の為に、
本当に一生懸命、助けてくれてありがとうございます。
これからも頑張って下さい。


外国から、たくさんの手が差し伸べられてましたよね。

真っ先に駆けつけてくれた、近くの韓国・・

アメリカ軍のOperation Tomodachi(トモダチ作戦)・・

とてもたくさんの義援金を用意してくれた台湾・・
台湾から頂いた東日本大震災の義援金は、世界で一番多かったそうです。

レディ・ガガさんが、いち早く義援金の為のブレスレットを作って、
自らも、ものすごく応援してくれた事・・
韓国の俳優さん達も、ヨン様をはじめ、たくさんの義援金を送ってくれましたよね。
世界中の有名人の方が、
東日本大震災の被災者に、温かい手を差し伸べてくれた・・
どうかこの行為を、売名行為だとか、汚い言葉で罵らないで下さい。
どんなお金でも、人の為に使われるお金には、愛がこもっています。

ローマ法王も、東日本大震災の被災者の為に、祈ってくれましたよね・・

ブータン王国の国王様夫妻が、福島を訪問されましたよね。
その少し前には、同じブータン王国のティンレイ首相が来てくれて、
福島の小学校で、子供達と給食を食べてくれたとか・・
確か・・福島の給食を食べる事で、
福島の安全を、世界にアピールしてくれたのだと聞きました。
ティンレイ首相の深い思いやりに、ものすごく感動しました。

東北の被災者の為に泣いてくれた、世界中の方々・・
日本がこんなにも愛されている事に、改めて感動すると共に、
手を差し伸べてくれた方々に、心からありがたいと思いました。


被災地の方々の苦しみを、
私もしっかりと理解したいと思い、
震災報道番組などで、恐ろしい津波の映像を見ました。

恐ろしかった・・・・・・・・

海を見るのが大好きだったんですが・・
大好きな海を、あんなに恐ろしいと思ったのは初めてです・・・
スマトラ沖地震の津波の映像も、恐ろしいと思いましたが、
東日本大震災の津波の方が、何倍も恐ろしく感じました。
自分の人生で、
阪神大震災より恐ろしい大災害は無いだろうと思い込んでいましたが、
まさか生きている間に、それ以上の大災害が日本で起こるなんて、
考えてもみませんでした。
津波の映像は、テレビで見ている自分でも、
あまりの恐ろしい光景に、震えながら、涙ぐみながら見てましたが・・・
実際にあの場にいた方々は、一体どれほど苦しまれたのかと思うと、
心がちぎれそうです・・・・・・。

被災地と被災者に、心からの同情を寄せたいと思う・・
でも、どうせ自分は、本当の苦しみなんか理解出来る訳がない・・
もし自分が住んでいる街が津波に飲みこまれてしまったら・・
街が廃墟と化してしまったら・・
街を歩きながら、そんな想像を何度もしてみました。
・・想像してみたところで、
自分が安穏とした場所で暮らしている事に変わりは無く、
そんな自分にも解った事と言えば、
当たり前の暮らしが出来る事が、どれほど幸せかという事くらいで・・
あの苦しみ、悲しみを100%理解したければ、
あの場に居合わせる事以外に方法が無くて・・・・・・

なんでそれほどまでに被災者の気持ちを理解したいのかと言えば、
自分の心に、『3.11を忘れるな!!』と、胸に刻みつけたいが為で・・
きっと・・1.17の阪神大震災を忘れない自分は、
東日本大震災の事も、忘れない自信がある・・
だけど・・それでも・・
悲しみや苦しみを理解してあげたい・・もっと・・もっと・・・・

それが、『被災地を助けてあげたい』という思いに変換できる筈だから。

3月11日・・この日を忘れない・・・。

たくさんの人が、幸せに暮らしていた街が、
一瞬のうちに、津波に飲みこまれた事を忘れない。

たくさんの大切な大切な命が、
無残に奪われていった事を忘れない。

原発による放射線被害で、
大切な故郷を復興する事はおろか、家に戻る事すら出来ない、
福島の方々の、怒り、悲しみ、憤りを忘れない。

仮設住宅にて、不便な生活を強いられていて、
満足な仕事を見つける事が出来ず、
生活に苦しんでいる方々がいる事を忘れない。

私達が、少ない義援金をいくら送ったって、
まだまだ全然足りてない事を忘れない。

テレビで見かける被災地の方々は、
みんな笑顔で前向きに頑張っている姿を見せてくれている。
でも、その心の奥底には、大きな傷を負っている事を忘れない。

忘れてはいけない事・・
他にもたくさんあると思います。
それをもっと知る為にも、

東日本大震災を忘れない。

これからも、心を寄せていきたいと思います。



遅くなり過ぎたけど、
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2015年03月31日で
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