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2024

0420
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2018

0311

2018年の3月11日です。
あの日から7年が経ちました…

最近、SNS上で、
あの震災を体験した女の子に出会いました。

その子は、大切な友達が、津波で流されてしまうのを
見てしまったそうです…
遺体確認もされたそうです…

震災当時は、まだ10代の子供だったと思います…

今でもその時の事で苦しんでいると

周りの友達からは、
まだ津波の話?
…と、責められるそうです…

周りの友達は、
いつまでも悲しみに囚われていては
前に進めないから
その話をするのを嫌がるんでしょうね…

でも…
まだあの日の傷が癒えてない人は…
今でも苦しんでいるんです…

悲しみに囚われていて
前に進めない人に

いつまでも辛くてもダメじゃないよ

…と言ってあげたいです…

阪神大震災の被害者の家族は、
23年経った今でも、
1月17日の5時46分になると
あの日に戻って、亡くなられた家族や知人の為に
涙を流しているというのに…

まだ、たったの7年ではないですか…

死ぬまで忘れられない事を
どうやったら7年で忘れられるでしょうか…

前を向く事が一番急がれる大事な事ではありますが…

苦しんでいる友達と手をつないで、
一緒に前を向く事は出来ないでしょうか…

置いてきぼりにしないで
一緒に連れて行ってあげてほしいです。

(他力本願ですが…)

だけど…

何年経っても忘れられない心の痛みというのは…

私達が知り得ないほどの、惨劇を見ているという事なんでしょうね…

まだまだ私達は、
あの震災の本当に恐ろしかった事や、
本当に辛かったこと…
その後、どれだけ苦しんでいるのか…
何も知らないんだろうなぁ…

…と、感じました。

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2017

0311

2017年の3月11日です。
あの日から6年経ちました。

相変わらず、この日だけ震災の話でもちきりになります。
実際には、この日を筆頭に、
1週間くらい前から、震災の話がTVに出てきます。

私も、気が付けばこのブログでは、
震災の話しかしてません。
それも、3月11日のみです。

だけど、それすらやめてしまったら、
もう関心すらなくなってしまう事になる…
それが怖いです。

今年の阪神大震災の報道ですが、
地元の新聞も、TVも、
去年より少なめに報道されてました。
さすがに22年も経つと…そうなるのかな…
…とも思ったけど…
何となく寂しく感じました。
何よりも寂しかった…というより、ダメなのは、
その事すらココで書かなかった自分の行動力の無さです。

話がそれましたが、
阪神淡路大震災の遺族を見てると…
22年経っても、あの日を思い返せば涙が出てしまう…
それを思えば、
東日本大震災は、まだたったの6年です。
まだまだもっともっと、
心を寄せていかなければいけないんですよね。

だけど…
去年、SMAP×SMAPが終わってしまってから…
東日本大震災の義援金をお願いする声が、
TVから聴こえなくなってしまった…
あの声に賛同する人や、
勇気を与えられてきた人もいただろうと思うのに…
そういうものが、ひとつずつ削られていく…
私が知らないだけで、
訴え続けてる人はいるだろうけど…
特に目立っていたものが無くなるのは惜しいと思います…

報道は、いくらあっても足りないですよね。
大きな事件しか扱わないから…
ささやかに生きる被災者の苦悩とか、
全然伝わってきません…
人知れず苦しんでる人、まだまだたくさんいると思うのに…
震災の心の傷が癒えるのには、
6年という日数は、まだまだ足りないと思う…
一生背負うほどの傷を受けてる筈だから…
特に…
目の前で人が亡くなるところを見てしまった人…
それが、家族であるなら…
筆舌に語り尽せない苦しみを、今も味わっていらっしゃるかもしれません…

原発事故の影響で、日本各地に避難してる方々ですが…
大震災の恐怖を感じずにいられる場所で、
少しでも安心して暮らして下さっていれば…
…と思ってたのに、考えが甘かったです…

福島県民を苦しめるものが生息してる場所だったとは…

次々と出てくる、原発被災者への差別…
バイ菌の様に扱ったり…
恐喝をしてみたり…
放射能を浴びてるから光ると思ったと言ってみたり…
自分の住んでる大切な場所が、
放射能に汚染されてしまった人達の、
苦しみも理解しようとしないで…!!!
イジメをやってる小学生は何を考えてるの?
避難してる人はお金を貰ってるとか、
それは意地悪な親にでも教えてもらった?
そんなお金…ちっとも足りてないって事は考えないの?
知らないよね!そんな事少しも!
何も知らないで、ずたずたに傷ついてる人を、
更にイジメて苦しめる…
恐ろしい小学生がいると思った…
そんな人間が日本に生息してるなんて、
恥ずかしくてたまらない…!!!

今からでも遅くない…猛反省してほしい…!!
今現在も、福島県からの避難者をイジメてる人は、
今すぐやめてほしい!!!
どれだけ残酷な事をしているか、早く気付いてほしい!!
どれだけ汚い事をしていたかに気付いた時、
いずれ、イジメてる側の人間の一生傷になるから。

放射能で汚染されたばかりの頃は、
大震災で亡くなられた方の遺体を探す事すら許されなかった…
まだ線量の高い中、無理してでも探していれば、
遺体を見つける事が出来たかもしれないのに…
どうしてもそれが許されず、出来なかった…
そんな…7歳の女の子を失ったお父さんの話を知った…
あの日いきなり起きてしまった大震災の日を境に、
二度と会えなくなってしまった娘さんへの思いは…
どれほど心が張り裂けてしまったかと思いました…

やっと…マフラーが見つかったんですって…

そのマフラーの中に、

娘さんの、首の骨のかけらが見つかった…

それしか見つからなかった…

でもお父さんは…
骨を全部見つけるまで諦めずに探そうとしていらっしゃる…
これがどんな思いか…
どれほどの辛くて苦しい思いなのか…

福島県民と見れば、原発被災者と差別する人達は、
それが解らないのか…?
想像すらできないのか…?
人間じゃないのか?鬼なのか?悪魔なのか?

福島第一原発は、
廃炉が完了するまで、あと30年から40年…
それ以上かかるかもしれないと聞いた…
一番危ない場所へ、人が足を踏み入れると数分で死に至るとも…
それでも、原発の外では、
もう厳重な防護服は必要なくなったそうだ。
汚染された土と芝、木を切り倒して、地面を舗装した為らしい。
少しずつだけど…後ろに下がってなどいない…前を進んでる…!
廃炉に向けて働いていらっしゃる方々には、
こんな大変な作業を一生懸命…頭が下がる思いです…

思った事を、いろいろ書いてみたけど…
私はまだまだ何も知らない…
情報は、TVとネットに頼りっきりで、
知ろうとしてないんだろうし…
それでも、少しでも知る事が出来たら、
心に留めておこうと思う…
この日を忘れない為に…

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2016

0311

3月11日が近付くと、
まるで思い出したかのように、
震災関連の番組が、各局で始まります。
どの番組も、大切な事を思い出させてくれて、
または、今まで知り得なかった情報を教えてくれるものばかりです。
特に震災当日の番組は、どれを見るべきか迷います。
なんだかんだ言いながら、毎年、NHKを選ぶんですけどね。

NHKでは、『あの日わたしは ~証言記録 東日本大震災~』を、
いつでも放送してくれているので、
この震災を忘れることなく、被災者の思いを感じ続ける事が出来て、
とてもありがたいです。

『いつか来る日のために~ 心の復興をめざして ~』を見たんですが、
心の復興について取り上げられてました。
その中で、ある4人の方のお話を取り上げさせていただきます。

おばあちゃんの手をひいて逃げていた女性の話。
波に足を取られて転倒してしまい、
おばあちゃんの手を放してしまった・・・
女性は何とか木につかまって助かったそうなのですが、
おばあちゃんは遺体で発見・・・
もっとしっかりつかんでいれば・・と自分を責める女性・・・
自分も一緒に死ねばよかったと思い悩んだ事もあったそうです・・・・・・。
だけど、スマトラ沖地震のあった、インドネシアに行かれた折、
津波の被害当時の遺構が、今でも大切に残されているのを知って、
辛くないのか問いかけてみたところ、
逆に・・
『将来同じ思いをした人が、辛い思いをするのは、あなたは辛くないんですか?』
・・と訊き返されてしまい・・
長い間苦しみ続けていた、辛くて苦しい気持ちを、
やっとの思いで、断ち切る事が出来るようになられたそうです。
手をつないで一緒に逃げていた筈の家族の命を守れなかった話は、
この方だけではありませんよね・・・
こんな残酷な事が、一体何例あった事かと推察するのもためらわれます・・・。
あなたのせいじゃない・・・そんな簡単な言葉で片付けられるものでもない・・・
だけど、生かされた命を大切に・・
これからを生きる人に、同じ思いをさせないようにする事・・
インドネシアの人が教えてくれた事は、
未来をよくする事なんだな・・って思えました。

3人もの子供たちを抱えて助けようとした男性の話。
(親子ではなく、偶然見つけた子供たちを助けたという話)
その男性は、子供たちを助けるだけでいっぱいいっぱいだった・・・
だんだん手の感覚もなくなっていき、深く息を吸い込む事すらできなくなっていった。
そんなギリギリの状況の中、女性の声で、
『助けてください。動けないんです』・・と、助けを求める声が・・・
どうする事も出来ず、断腸の思いで、『ごめんなさい!』
そう言うだけで精一杯だった・・・。
後日、その女性は遺体となって発見された・・・・・・
周りの人は、3人の子供を助けた事を、よく言ってくれたそうですが、
その男性は、苦しい胸の内を涙ながらに訴えます・・
『何人助けたって、1人殺したら同じことなんじゃないかって』
その辛さから、亡くなった女性の家の近くを通れずにいたそうなのですが、
ある日、その女性の家族の方に、
助けられなかった事を、謝罪にいかれたそうです。
するとその女性の旦那さんは、怒るどころか、
妻の最期の話が聞けて、本当によかった・・・と、お礼を言ってくれたそうです。
優しいから・・助けてあげられなかった事で、苦しんでしまう・・・
優しいから・・妻の最期を知っている人の存在が、ありがたく思える・・・
どちらの方も、優しい思いやりの心で出来ているんだ・・・と、思えました。

市の防災を担当している職員のお話。
その方は防災のスペシャリストで、
過去のデータを検証し尽して、練りに練って防災マップを作られたそうです。
予想された津波は8メートル・・
でも実際には、13メートル以上・・と、想定を超える津波がきてしまいました。
そして・・防災マップに記された避難所に非難された方、60人が、
犠牲になってしまいました。
示していた数字が、逆に作用してしまったのでは・・
8メートル以上は来ないんじゃないかと、思わせてしまった・・
その事が、防災マップを作製した職員さんを苦しめているそうです・・・・・。
災害には上限がない
安全マップは無い
残念ながら、大自然の猛威に対して、私たち人間は、
こういう判断を下すしかない様です・・・。
未曽有の災害がもたらした傷跡は、目に見えるものだけではないんだと、
痛感させられました・・・。

病院の看護婦長の話。
病院に津波が襲ってきた。
今すぐ1階の患者さんを2階に連れて行かなくてはいけない。
既に病院内に水が入ってきて、20人ほどの患者さんが、
水の中にいるという差し迫った状況下で、
その看護婦長さんが下した判断は、
息のある(助かる見込みのある)患者さんだけを助けなさいという指示でした。
助かる見込みの無い患者さんの手を放すと、
凄い勢いで流されていってしまったそうです・・・
こういう場合の判断も、トリアージというのでしょうか?
全員を助ける事は不可能と判断した看護婦長さんの判断は、
決して間違ったものではなく、仕方のなかった事。
むしろ、正しい判断だったに違いないと思えましたが・・・
そんな惨い判断を行わざるを得なかった者にとっては、
何が正しいか、間違っているかなどという単純な一般論では、
とてもとても片付けられない程、大きなものを背負わされるんだという事を、
このお話を聞いて知りました・・・・・。
看護婦長さんは、震災後、看護師の仕事を辞められたそうです。
『生きていていいんだろうか・・取り返しのつかない事をしてしまった・・』
・・・と、心に大きな傷を受けてしまわれた様です・・・・・。

・・・以上の、4人の方のお話は、
それぞれ「無理」の二文字が立ちはだかる現状で、
どうしてもどうしても人の命を助けてあげられなかった事で、
心に深い傷を負われた・・というものでした。
それぞれが、あまりにも仕方のない事すぎて、
正直なところ、かけてあげる言葉すらみつかりません・・・。

だけど、
おばあちゃんの手をにぎっていた女性も、
3にんもの子供たちの命を救った男性も、
たくさんの人が助かります様にと、防災マップを作られた職員さんも、
ひとりでも多くの患者さんを助けようとした看護婦長さんも、
それぞれが、とても優しい心をお持ちだから、
5年経った今も心を痛めておられるんだと思います。
優しい心を持った方々が、そんなお心ゆえに苦しみ続けていらっしゃるなんて、
運命というものの理不尽さを感じてしまいました。

『助けてあげられなかった・・・』という思いで苦しまれていらっしゃいますが・・
生かされた命の、これから先の長い時の間に・・
その優しい心を、きっと忘れずにお持ちになっていらっしゃれば、
いつか・・他の誰かを助けてあげる事が出来る筈・・・。
誰かひとりを助けてあげる度に、
この人を助ける為に、今を生きてるんだとか・・
その為に生かされた命なんだとか・・
そんな風に考えていただけたらなぁ・・・って思います。


東日本大震災から5年もの年月が流れましたが・・・・・
この5年をあっという間だったと言われる方もいらっしゃれば、
やっと5年経ったと思われる方もいらっしゃっるかな・・と思います。
私は、阪神大震災の21年を見てきたせいか、
やっと5年・・まだ5年・・という思いがしてしまいます。
だけどその5年間、陸地のかさ上げ工事など、
急ピッチで行われているのを見ると、
よく目に見える分、目覚ましい発展が喜ばしい限りです。
だけどまだ5年であるので、
目に見えない復興の遅れもあるんだろうなと思います。

震災を昨日の事の様だと話す方もいらっしゃいましたが、
阪神大震災の被災者の方が、
21年経っても、あの時と同じ日時に手を合わせれば、
一瞬で21年前に戻れるのを見る限りでは、
5年など確かに、昨日の事の様なものですね。

福島県では、未だに復興したくても出来ない地域もありますよね・・・
スタート地点にすら立たせてもらえない残酷な仕打ち・・
福島県の、帰宅困難区域に住んでらっしゃった方など、
察して余りあるほどの憤りを感じてらっしゃるでしょう・・・。
原発の廃炉には40年かかると聞きました・・・。
気が遠くなりそうです・・・
だけどその気の遠くなりそうな年月を、廃炉にむけて作業されてる方には、
頭が下がる思いです。
職員の中には女性もいらっしゃると聞きました。
私さっき、気が遠くなるとか失礼な事を申しましたが、
一日、一日、廃炉に向けてただひたすら邁進していくだけですよね。
いつかきっと以前の福島を取り戻す為に、
諦めないで頑張ってくれてるんですよね!!
ありがたいことです・・。
どうかもう二度と、今頑張ってくれているこの人達に免じて、
同じ過ちが決して起こりませんように・・
福島県と全国の原発に対しては、それを願うばかりです。

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2015

0311

ここしばらくの更新が、
阪神大震災や、東日本大震災の記事ばかりになってますが・・
特に災害関連の記事ばかりのブログにしようと思ってる訳ではありません。
この一年の間にも、書きたい事、訴えたい事は山の様にありましたが、
ブログを書く時間が、上手く作れなかっただけです。
明日も忙しく、正直今回もブログを書く時間がないのですが・・
これだけは・・やっぱり書き残したい・・
どこの・・誰に届くわけでも無くても、
自分ひとりに言い聞かせるだけでもいい・・
その程度の大義でも、時間は作ろうと思えば作れるものだ。


東日本大震災から、4年が経ちました。
4年と言う月日が経過しても、
メディアがこの日の事を取り上げてくれるのが、
ありがたい限りです。
私が思い違いをしてるだけかもしれませんが、
阪神大震災の時は、
いつまでも震災について語ってるのは関西人だけで、
全国区の番組や、近畿地方以外の人の間などでは、
比較的早くに風化が見られた様な気がしましたが、
その後・・各地の多くの災害を経て、
『風化させてはいけない』という大義の元、
最近になって、阪神大震災も風化されなくなってきた感があるのですが・・
私ひとりがそんな風に思い込んでいただけでしょうか・・?
何が言いたいのかと申しますと、
そこで起こった凄惨な災害の記憶を風化させるのは、
災害に遭った当事者達ではなく、
その話をメディアなどから人伝に知った人達が、
過去の話として、まるで絵空事であったかの様に、
自然と忘れて行く・・
そういった現象なのだと思うのです。
それもまた、自然の流れなのでしょうが・・
それに逆らって、何度でも思い出し、その都度涙し、
あの日、どれほどの苦しみと悲しみと悔しさに、
心を痛め続けていたのか・・
そして今現在は、月日の経過と共に訪れるであろう、
また別の辛さと寂しさに心を苛まれているのか・・
どんな小さな事でもいい・・
もし知る事が出来たら、心に刻みつけて行こうと思っています。


震災のモニュメントをバックに、写真を撮っている人について、
苦言をされていた方がいらっしゃいました。
震災を忘れない為のモニュメントなんだから、
それだけを撮ればいいのに、どうして自分を入れるんでしょうね。
その行為は、震災を軽々しく受け止めている様に思えてしまいますよね。
それを聞いて、もっと酷い話を思い出してしまいました。
まだ震災直後の阪神大震災の話です。
ボランティアなどではなく、壊れた神戸を見に来ただけの人だったのでしょうか・・
倒壊した建物をバックにピースサインで写真を撮っていた人がいたそうです。
その倒壊した建物の下には、逃げ遅れた方の遺体があるかもしれない・・
そんな場所で写真を撮るなんて・・そんな話を聞いた事を思い出しました。
被災地のモニュメントを写真に撮りたい時は、
そこで起こった凄惨な記憶まで、その写真の中に封じ込めるべきだと思います。
震災モニュメントを残したくない被災者の方だってたくさんいるのに・・
何の為のモニュメントなのか・・
震災を知らない人、忘れたくない人の為のモニュメントなのに・・
あまり軽々しく触れないで欲しいと思いました。


まだ小さな赤ちゃんを失ったお母さんの話を聞きました。
生まれてから一度も、誕生日を祝ってあげた事がなかったそうです・・・
赤ちゃんは、津波に巻き込まれたまま、今も行方不明・・・
その後、ふたりめのお子さんが生まれて、
その子はすくすくと大きくなっています。
不幸のどん底にいたお父さんとお母さんにとっては、
希望の光の様な新しい生命・・
だけど、その子が大きくなるにつれて、
亡くなってしまった子にしてあげられなかった事が、
次々と出てくるのだそうです。
そうしたら、年月の経過とともに、悲しみを忘れるどころか、
また辛くなってしまうという、苦しみがあるのだそうです。
ふたりめのお子さんの写真はどんどん増えていくのに、
ひとりめのお子さんの写真は増えないまま・・・
そんな真綿で締め付けられるかの様な、辛い苦しみもあるのかと、
今回初めて知りました・・・。


震災から半年たった頃から、
亡くなられた方の霊が見えるとか、
海に近付くと肩が重くなるとか、
霊現象の様な症状を訴える方が出てきたと知りました。
私は霊については肯定的な方なので、単純にこの話を聞けば、
亡くなられた方が、いきなり命を奪われた無念を訴えたくて出てこられたんだな・・
・・と思ってしまいがちですが、
その話の根底には、亡くなられた方の無念というよりは、
亡くされた大切な方への想いが強すぎて・・
そしてそれが、あまりにも辛すぎて・・
そういった生き残った方々の、耐え難い心の苦しみが、
亡くなられた方の姿が見える現象となっている様な気がしてしまいました。
震災で大切な人を亡くされた方の想いがいかほどであるか・・
それが見えた様な気がしました・・・。


せっかく生き残れたのに・・生き続けて行く事が辛い・・・
・・と思われてる方の話を知りました。
自殺者が急増してる事・・・
特に、福島県の自殺者が多い事も知りました・・・
ああ・・・・きっとその人達は・・・
毎日、毎日が辛くて・・・
筆舌に尽くしがたい苦しみに囚われたままなんだろうなぁ・・・・
そんな辛さを抱えている人達を、
弱いなんて思ってない・・!!
甘えてるなんて思ってない・・!!
逃げてるんだなんて、少しも思ってないです・・!!!
だって私は、その苦しみがいかなるものかなんて、
想像すら出来ないんだから・・・・・・・
被災地で、強く生きてる人が偉いんだとか、
弱く自殺してしまった人が駄目なんだとか、
自分にはそんな事を判定する権利すらないです。
災害に遭った事も無いし、
理不尽に大切な人の命を奪われたりした事もない、
自分の住んでる家や、仕事場を、ある日突然失ったりした事もない・・
文字通り何もかも失くした事なんかない私には、
本当の意味で理解する事は、不可能の様に思えます・・・。
『生きていたら、きっといつかいい事があるから・・』
そんな言葉が、かなり安っぽく聞こえてしまう気がする・・
だけど、どうか生きて・・
いつか『生きててよかった』と思える日まで生きて・・
ほんの少しでも、微笑んだりできるまで、
生きててほしいなぁ・・・って思います。
誰の為でもない、その人本人の為に、
今を逃せば、もう二度とこの世界に現れる事のない、
大切な大切な命を、
どうか、少しでも長く大事にしてほしい・・・・・

震災は町だけじゃなく、
本当にいろんなものを破壊していくんだなぁ・・・
それを考えると本当に辛いです・・・


阪神大震災の被災者の方が、東日本大震災の被災者の気持ちを、
私達よりずっとずっとわかっていらっしゃるのを感じる事があります。
こんな言い方すると変だけど、
それが少し羨ましかったりするんですよね・・。
だけどそんな風になるには、
どれほどたくさんの人の命を喪って・・・
どれほどたくさんのものを失って・・・
数えきれないほどの悲しみを乗り越えて・・・
そこにはたくさんの怒りや悔しさもあって・・・
心がズタズタになるまで苦しんでから、
そこから必死で這い上がって、這いつくばらん勢いで生きてきた・・
それほどの思いをかかえ、乗り越えてきた人だけが、
被災して苦しんでいる人の気持ちが解る様になるんじゃないかって・・
そんな気がします。

一度は満身創痍になっても、強く生きのびてきた人って、
何だか光って見える気がします。
今も大きな傷が残ってるんです。それがカッコいいとかじゃありません。
ただ生きてるだけで・・人の生命力の強さを感じるんです。
ただ生きていらっしゃるだけで、同じ日本人として誇らしいです。


震災後、やっとの事で4年・・・
まだまだ見通しの悪い復興に、
絶望されてしまう事もあるかもしれませんが、
そこで立ち止まってしまってはゼロだけど、
ほんの少しでも動けば、それはゼロではない。
これから先もまだまだ長いんだろうけど・・
この先の未来を憂える事なく、生きていてほしいです・・!!


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2014

0311

今日で東日本大震災から3年になります。

6分前にアラームを設定しておいて、
14時46分になったら、合掌して黙とうしました。
脳裏に海のイメージを想い浮かべ、
被災した方々の無念を思い、
犠牲となった方々には、
『どうか、やすらかに』
・・と祈りました。
自然と涙が出てきました・・。

この前の記事では、阪神大震災の事を書きましたが、
毎年1月17日になると、当時の被災者の方々が、
まるで昨日の事の様に涙を流されるのに、
まだ・・・たったの3年です。

いつまでも“被災地”、“被災者”と呼ばれるのは嫌だと言う話を
テレビなどで聞いた気がします。
ああ・・そうだろうな・・と痛々しく思います。
だけど、そこが被災地だと誰からも思われなくなったら、
義援金を送ろうと思う手が止まってしまうのではないかと、
余計かもしれない懸念があります。

そう言えば・・
神戸はいつまで“被災地”と呼ばれていただろうか・・?
今では神戸を“被災地”とは呼びません。
神戸は神戸、兵庫県・・っていうか神戸です。
そこに住む方々の心から、震災の傷は癒えてないかもしれませんが・・
町が綺麗になってきた頃から、
“被災地”と呼ばれなくなった様な気がします。
(あくまで私の主観であり、勝手な意見です)

“被災地”とか、“被災者”と呼ばれるのは辛いかもしれませんが、
そう呼んでくれる人は、
少なくとも、被災された方々と、その土地に対して、
哀悼の念を抱いている人々だと信じたいです。

震災のモニュメントを残そうという動きと、
それに反対される方々がいるという話を知りました。

後世に、この震災を伝えたいと切望するのが、
モニュメントを残したいという考えで、

忌まわしい記憶が思いだされ、精神的に苦痛なので、
残してほしくない、
または、モニュメント保存の為にかかってしまう必要経費を、
もっと町の復興の為に役立ててほしいと考えるのが、
モニュメントに反対される意見なのだと知りました。

どちらの意見も、もっともな意見だと思い、
私などには、正しい答えは出せないな・・
・・というのが正直な意見ですが・・
本当のところ、私の考えは以前から決まっていて、
辛くても苦しくても、モニュメントを残した方がいい・・
・・と思っています。

こんな話を聞きました。
広島にも、長崎にも原爆が落とされたのに、
何故か、広島=原爆のイメージが強いのは、
原爆ドームというモニュメントが残っているからなんだと・・
修学旅行などで、広島と長崎の両方の原爆資料館に行きましたが、
確かに、イメージが濃くて、
原爆と言えば、真っ先に思い出してしまうのは広島の方です。
モニュメントには、とても大きな力があるんだなと思えました。

聞けば阪神大震災でも、
メリケンパークにモニュメントが残っているのだとか・・

恐ろしい・・思い出したくない記憶でも・・
今生きている私達だけじゃない・・
もっともっと先の未来の人達に、
あの恐怖と教訓を、伝え続けなければいけない・・
モニュメントとなるものは、
撤去して捨ててしまえば、
少し心が楽になるかもしれない・・
でもそうしたら、それは二度と戻らないし、
新たに作ったりする事は決してできない・・

昔々に東北に生きた先祖の方々も、
当時はモニュメントを残す事など、考えも及ばなかったかもしれないけど、
(どんなしるしだったか覚えていませんが)
『ここまで津波が到達した、ここより海側に家を作るな』
・・という事を記した石碑などと残して、
未来の人々の安全を守ってくれましたよね。
もしかしたら当時だって、
津波がここまで来た・・というしるしを立てるだけでも、
思いだすから嫌だと反対する人がいたかもしれません。
だけどそのしるしは、今回の震災で、
確かに役にたったのだと聞きました。

ああ・・だけど・・だけど・・・
あの日の恐怖を思い起こさせるものが、
いつでも目に入る場所に今でも残っていたら・・・
怖いでしょうね・・・辛いでしょうね・・・
そんな事より今は、
少しでも早く、少しでもたくさん、
町の復興を急ぎたいですよね・・・
その思いを考えると、
今はまだ、未来の事を考える時ではないとも思えるし・・
本当に・・正しい答えなんか出せません・・・。

どうか、いい方法が見つかります様に・・・


昔は家がたくさん立っていて、
お店もあって、みんな楽しく生きていたんだろうな・・
・・と思われる町が、
今では雑草ばかりの荒れ地の様な姿になっているのを見て、
心が痛みました・・・

今では脳裏にしか残ってない・・
懐かしい町に思いを馳せる気持ちは一緒でも、
その場所に帰る事すら許してもらえない方々もいらっしゃいますよね・・
今回の震災は幾重にも残酷な仕打ちがありすぎて、
そんな中でも、健気に生きていらっしゃる姿を拝見すると、
頭の下がる思いです・・。

みなさんが、少しでも・・ほんの少しでも、
幸せを感じる事のできる毎日でありますように・・・


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