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ふと…おしゃべりしたいとき…ココへきます♪

2017

0922
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2017

0311

2017年の3月11日です。
あの日から6年経ちました。

相変わらず、この日だけ震災の話でもちきりになります。
実際には、この日を筆頭に、
1週間くらい前から、震災の話がTVに出てきます。

私も、気が付けばこのブログでは、
震災の話しかしてません。
それも、3月11日のみです。

だけど、それすらやめてしまったら、
もう関心すらなくなってしまう事になる…
それが怖いです。

今年の阪神大震災の報道ですが、
地元の新聞も、TVも、
去年より少なめに報道されてました。
さすがに22年も経つと…そうなるのかな…
…とも思ったけど…
何となく寂しく感じました。
何よりも寂しかった…というより、ダメなのは、
その事すらココで書かなかった自分の行動力の無さです。

話がそれましたが、
阪神淡路大震災の遺族を見てると…
22年経っても、あの日を思い返せば涙が出てしまう…
それを思えば、
東日本大震災は、まだたったの6年です。
まだまだもっともっと、
心を寄せていかなければいけないんですよね。

だけど…
去年、SMAP×SMAPが終わってしまってから…
東日本大震災の義援金をお願いする声が、
TVから聴こえなくなってしまった…
あの声に賛同する人や、
勇気を与えられてきた人もいただろうと思うのに…
そういうものが、ひとつずつ削られていく…
私が知らないだけで、
訴え続けてる人はいるだろうけど…
特に目立っていたものが無くなるのは惜しいと思います…

報道は、いくらあっても足りないですよね。
大きな事件しか扱わないから…
ささやかに生きる被災者の苦悩とか、
全然伝わってきません…
人知れず苦しんでる人、まだまだたくさんいると思うのに…
震災の心の傷が癒えるのには、
6年という日数は、まだまだ足りないと思う…
一生背負うほどの傷を受けてる筈だから…
特に…
目の前で人が亡くなるところを見てしまった人…
それが、家族であるなら…
筆舌に語り尽せない苦しみを、今も味わっていらっしゃるかもしれません…

原発事故の影響で、日本各地に避難してる方々ですが…
大震災の恐怖を感じずにいられる場所で、
少しでも安心して暮らして下さっていれば…
…と思ってたのに、考えが甘かったです…

福島県民を苦しめるものが生息してる場所だったとは…

次々と出てくる、原発被災者への差別…
バイ菌の様に扱ったり…
恐喝をしてみたり…
放射能を浴びてるから光ると思ったと言ってみたり…
自分の住んでる大切な場所が、
放射能に汚染されてしまった人達の、
苦しみも理解しようとしないで…!!!
イジメをやってる小学生は何を考えてるの?
避難してる人はお金を貰ってるとか、
それは意地悪な親にでも教えてもらった?
そんなお金…ちっとも足りてないって事は考えないの?
知らないよね!そんな事少しも!
何も知らないで、ずたずたに傷ついてる人を、
更にイジメて苦しめる…
恐ろしい小学生がいると思った…
そんな人間が日本に生息してるなんて、
恥ずかしくてたまらない…!!!

今からでも遅くない…猛反省してほしい…!!
今現在も、福島県からの避難者をイジメてる人は、
今すぐやめてほしい!!!
どれだけ残酷な事をしているか、早く気付いてほしい!!
どれだけ汚い事をしていたかに気付いた時、
いずれ、イジメてる側の人間の一生傷になるから。

放射能で汚染されたばかりの頃は、
大震災で亡くなられた方の遺体を探す事すら許されなかった…
まだ線量の高い中、無理してでも探していれば、
遺体を見つける事が出来たかもしれないのに…
どうしてもそれが許されず、出来なかった…
そんな…7歳の女の子を失ったお父さんの話を知った…
あの日いきなり起きてしまった大震災の日を境に、
二度と会えなくなってしまった娘さんへの思いは…
どれほど心が張り裂けてしまったかと思いました…

やっと…マフラーが見つかったんですって…

そのマフラーの中に、

娘さんの、首の骨のかけらが見つかった…

それしか見つからなかった…

でもお父さんは…
骨を全部見つけるまで諦めずに探そうとしていらっしゃる…
これがどんな思いか…
どれほどの辛くて苦しい思いなのか…

福島県民と見れば、原発被災者と差別する人達は、
それが解らないのか…?
想像すらできないのか…?
人間じゃないのか?鬼なのか?悪魔なのか?

福島第一原発は、
廃炉が完了するまで、あと30年から40年…
それ以上かかるかもしれないと聞いた…
一番危ない場所へ、人が足を踏み入れると数分で死に至るとも…
それでも、原発の外では、
もう厳重な防護服は必要なくなったそうだ。
汚染された土と芝、木を切り倒して、地面を舗装した為らしい。
少しずつだけど…後ろに下がってなどいない…前を進んでる…!
廃炉に向けて働いていらっしゃる方々には、
こんな大変な作業を一生懸命…頭が下がる思いです…

思った事を、いろいろ書いてみたけど…
私はまだまだ何も知らない…
情報は、TVとネットに頼りっきりで、
知ろうとしてないんだろうし…
それでも、少しでも知る事が出来たら、
心に留めておこうと思う…
この日を忘れない為に…

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2016

0311

3月11日が近付くと、
まるで思い出したかのように、
震災関連の番組が、各局で始まります。
どの番組も、大切な事を思い出させてくれて、
または、今まで知り得なかった情報を教えてくれるものばかりです。
特に震災当日の番組は、どれを見るべきか迷います。
なんだかんだ言いながら、毎年、NHKを選ぶんですけどね。

NHKでは、『あの日わたしは ~証言記録 東日本大震災~』を、
いつでも放送してくれているので、
この震災を忘れることなく、被災者の思いを感じ続ける事が出来て、
とてもありがたいです。

『いつか来る日のために~ 心の復興をめざして ~』を見たんですが、
心の復興について取り上げられてました。
その中で、ある4人の方のお話を取り上げさせていただきます。

おばあちゃんの手をひいて逃げていた女性の話。
波に足を取られて転倒してしまい、
おばあちゃんの手を放してしまった・・・
女性は何とか木につかまって助かったそうなのですが、
おばあちゃんは遺体で発見・・・
もっとしっかりつかんでいれば・・と自分を責める女性・・・
自分も一緒に死ねばよかったと思い悩んだ事もあったそうです・・・・・・。
だけど、スマトラ沖地震のあった、インドネシアに行かれた折、
津波の被害当時の遺構が、今でも大切に残されているのを知って、
辛くないのか問いかけてみたところ、
逆に・・
『将来同じ思いをした人が、辛い思いをするのは、あなたは辛くないんですか?』
・・と訊き返されてしまい・・
長い間苦しみ続けていた、辛くて苦しい気持ちを、
やっとの思いで、断ち切る事が出来るようになられたそうです。
手をつないで一緒に逃げていた筈の家族の命を守れなかった話は、
この方だけではありませんよね・・・
こんな残酷な事が、一体何例あった事かと推察するのもためらわれます・・・。
あなたのせいじゃない・・・そんな簡単な言葉で片付けられるものでもない・・・
だけど、生かされた命を大切に・・
これからを生きる人に、同じ思いをさせないようにする事・・
インドネシアの人が教えてくれた事は、
未来をよくする事なんだな・・って思えました。

3人もの子供たちを抱えて助けようとした男性の話。
(親子ではなく、偶然見つけた子供たちを助けたという話)
その男性は、子供たちを助けるだけでいっぱいいっぱいだった・・・
だんだん手の感覚もなくなっていき、深く息を吸い込む事すらできなくなっていった。
そんなギリギリの状況の中、女性の声で、
『助けてください。動けないんです』・・と、助けを求める声が・・・
どうする事も出来ず、断腸の思いで、『ごめんなさい!』
そう言うだけで精一杯だった・・・。
後日、その女性は遺体となって発見された・・・・・・
周りの人は、3人の子供を助けた事を、よく言ってくれたそうですが、
その男性は、苦しい胸の内を涙ながらに訴えます・・
『何人助けたって、1人殺したら同じことなんじゃないかって』
その辛さから、亡くなった女性の家の近くを通れずにいたそうなのですが、
ある日、その女性の家族の方に、
助けられなかった事を、謝罪にいかれたそうです。
するとその女性の旦那さんは、怒るどころか、
妻の最期の話が聞けて、本当によかった・・・と、お礼を言ってくれたそうです。
優しいから・・助けてあげられなかった事で、苦しんでしまう・・・
優しいから・・妻の最期を知っている人の存在が、ありがたく思える・・・
どちらの方も、優しい思いやりの心で出来ているんだ・・・と、思えました。

市の防災を担当している職員のお話。
その方は防災のスペシャリストで、
過去のデータを検証し尽して、練りに練って防災マップを作られたそうです。
予想された津波は8メートル・・
でも実際には、13メートル以上・・と、想定を超える津波がきてしまいました。
そして・・防災マップに記された避難所に非難された方、60人が、
犠牲になってしまいました。
示していた数字が、逆に作用してしまったのでは・・
8メートル以上は来ないんじゃないかと、思わせてしまった・・
その事が、防災マップを作製した職員さんを苦しめているそうです・・・・・。
災害には上限がない
安全マップは無い
残念ながら、大自然の猛威に対して、私たち人間は、
こういう判断を下すしかない様です・・・。
未曽有の災害がもたらした傷跡は、目に見えるものだけではないんだと、
痛感させられました・・・。

病院の看護婦長の話。
病院に津波が襲ってきた。
今すぐ1階の患者さんを2階に連れて行かなくてはいけない。
既に病院内に水が入ってきて、20人ほどの患者さんが、
水の中にいるという差し迫った状況下で、
その看護婦長さんが下した判断は、
息のある(助かる見込みのある)患者さんだけを助けなさいという指示でした。
助かる見込みの無い患者さんの手を放すと、
凄い勢いで流されていってしまったそうです・・・
こういう場合の判断も、トリアージというのでしょうか?
全員を助ける事は不可能と判断した看護婦長さんの判断は、
決して間違ったものではなく、仕方のなかった事。
むしろ、正しい判断だったに違いないと思えましたが・・・
そんな惨い判断を行わざるを得なかった者にとっては、
何が正しいか、間違っているかなどという単純な一般論では、
とてもとても片付けられない程、大きなものを背負わされるんだという事を、
このお話を聞いて知りました・・・・・。
看護婦長さんは、震災後、看護師の仕事を辞められたそうです。
『生きていていいんだろうか・・取り返しのつかない事をしてしまった・・』
・・・と、心に大きな傷を受けてしまわれた様です・・・・・。

・・・以上の、4人の方のお話は、
それぞれ「無理」の二文字が立ちはだかる現状で、
どうしてもどうしても人の命を助けてあげられなかった事で、
心に深い傷を負われた・・というものでした。
それぞれが、あまりにも仕方のない事すぎて、
正直なところ、かけてあげる言葉すらみつかりません・・・。

だけど、
おばあちゃんの手をにぎっていた女性も、
3にんもの子供たちの命を救った男性も、
たくさんの人が助かります様にと、防災マップを作られた職員さんも、
ひとりでも多くの患者さんを助けようとした看護婦長さんも、
それぞれが、とても優しい心をお持ちだから、
5年経った今も心を痛めておられるんだと思います。
優しい心を持った方々が、そんなお心ゆえに苦しみ続けていらっしゃるなんて、
運命というものの理不尽さを感じてしまいました。

『助けてあげられなかった・・・』という思いで苦しまれていらっしゃいますが・・
生かされた命の、これから先の長い時の間に・・
その優しい心を、きっと忘れずにお持ちになっていらっしゃれば、
いつか・・他の誰かを助けてあげる事が出来る筈・・・。
誰かひとりを助けてあげる度に、
この人を助ける為に、今を生きてるんだとか・・
その為に生かされた命なんだとか・・
そんな風に考えていただけたらなぁ・・・って思います。


東日本大震災から5年もの年月が流れましたが・・・・・
この5年をあっという間だったと言われる方もいらっしゃれば、
やっと5年経ったと思われる方もいらっしゃっるかな・・と思います。
私は、阪神大震災の21年を見てきたせいか、
やっと5年・・まだ5年・・という思いがしてしまいます。
だけどその5年間、陸地のかさ上げ工事など、
急ピッチで行われているのを見ると、
よく目に見える分、目覚ましい発展が喜ばしい限りです。
だけどまだ5年であるので、
目に見えない復興の遅れもあるんだろうなと思います。

震災を昨日の事の様だと話す方もいらっしゃいましたが、
阪神大震災の被災者の方が、
21年経っても、あの時と同じ日時に手を合わせれば、
一瞬で21年前に戻れるのを見る限りでは、
5年など確かに、昨日の事の様なものですね。

福島県では、未だに復興したくても出来ない地域もありますよね・・・
スタート地点にすら立たせてもらえない残酷な仕打ち・・
福島県の、帰宅困難区域に住んでらっしゃった方など、
察して余りあるほどの憤りを感じてらっしゃるでしょう・・・。
原発の廃炉には40年かかると聞きました・・・。
気が遠くなりそうです・・・
だけどその気の遠くなりそうな年月を、廃炉にむけて作業されてる方には、
頭が下がる思いです。
職員の中には女性もいらっしゃると聞きました。
私さっき、気が遠くなるとか失礼な事を申しましたが、
一日、一日、廃炉に向けてただひたすら邁進していくだけですよね。
いつかきっと以前の福島を取り戻す為に、
諦めないで頑張ってくれてるんですよね!!
ありがたいことです・・。
どうかもう二度と、今頑張ってくれているこの人達に免じて、
同じ過ちが決して起こりませんように・・
福島県と全国の原発に対しては、それを願うばかりです。

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2016

0117

阪神大震災の前日、1月16日、
関西テレビ(フジテレビ系)にて6年ぶりに、

この様な、事実に基づいたドラマは、これから先も放送され続けるべきだと思う。
忘れかけてきた頃にこそ、こんなドラマでも見て、
一気に、あの21年前に戻されるのもいい・・・
あの日を忘れない為ならば・・・。
6年前の放送は、2010年1月16日。
東日本大震災は、この翌年の3月だったし、
もしかしたらこのドラマも、遠い関西での出来事と、
近畿地方以外の人たちは、興味を示してくれなかったかもしれない・・・。
だけど・・今なら・・
当時見てくれなかった人も、見てくれるかもしれない・・
これを見て、より多くの人たちが、
神戸の無念を・・しっかりと感じ取ってくれるかもしれない・・
何となく・・そんな事を願いながら見てました。
1月17日当日は、同じく関西テレビにて、
阪神淡路大震災の起こった時刻に合わせて、
『この瞬間(とき)に祈る』が放送されていました。

神戸・中央区、東遊園地。
近くのビルの窓が、『1.17』を見事に形どって灯されてました。
去年の新聞にも、この窓の灯りがあったのを覚えてます。

一.一七 希望の灯り

一九九五年一月十七日午前五時四十六分
阪神淡路大震災

震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出

・・・たった一秒先が予知出来ない人間の限界・・・

震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間

この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ
(希望の灯りに刻まれた言葉より抜粋)

1.17』を形作っている7500の竹灯籠は、
希望の灯りから炎を分けられているそうです。
今年から、震災を知らない若い人達にも関心をもってもらおうと、
未来』という文字も加えられていました。

地震が起きた時刻の1分前には、時報が放送され、
次第にみんなが手を合わせていきます。
『黙とう』の声を合図に、電気の灯りは消され、
竹灯籠の灯りだけになります。
それまで囁きのようなざわつきがあったのが、
静まり返ります・・・
かすかに、嗚咽が聞こえたような気がしました。
21年も前の事だというのに、
この日だけは、あの日に戻されるようです。

私たち・・・大切な人が亡くなっても、
その人を思い出して出す涙は、年々枯れていきます。
どんなに悲しい別れでも、
普通なら、ちゃんと温かい寝床で、
家族に看取られながら死んでいくものだからなのでしょう・・。
昨日まで元気だった人が、
何の前触れもなく、覚悟もできないまま、
ちゃんとした場所ではなく、無残に亡くなってしまわれると、
亡くなった方も、残された方も、それが無念で無念で仕方ないから・・
その思いが涙となって、21年の時を戻してしまうんですね。

この日、夜になったら近畿では雨が降ったんですが、
この黙とうの時間に雨が降らなくてよかった・・・
こちら(京都)では結構~降ってるんですが・・
少なくとも神戸市中央区では、
24時間中もそれほどひどくは降ってないようです。
神様も遠慮してくださってるんですね。

4歳の時に被災し、母と姉を亡くし、
兄と一緒に遠く離れた長崎で、祖父母に育てられた方が、
お兄さんはおばあさんを支える為に長崎に残り、
弟さんは、新しくできた家族と共に神戸の街に戻り、
そこで人を助ける仕事である看護師をしている話を聞きました。
このご兄弟が、家族と死に別れても、寂しさを感じることなく、
優しい人に育ったのは、
おじいさん、おばあさんが老体に鞭打ってでも、
温かい愛情で育ててくれたからなのだそうです。

大震災を思い出すと、どうしても、
怖ろしい事、悲しい事ばかりを思い出してしまいがちですが、
時には、そこで懸命に頑張った人の話や、
温かい愛情に包まれた話も思い出したいですね。

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2015

0311

ここしばらくの更新が、
阪神大震災や、東日本大震災の記事ばかりになってますが・・
特に災害関連の記事ばかりのブログにしようと思ってる訳ではありません。
この一年の間にも、書きたい事、訴えたい事は山の様にありましたが、
ブログを書く時間が、上手く作れなかっただけです。
明日も忙しく、正直今回もブログを書く時間がないのですが・・
これだけは・・やっぱり書き残したい・・
どこの・・誰に届くわけでも無くても、
自分ひとりに言い聞かせるだけでもいい・・
その程度の大義でも、時間は作ろうと思えば作れるものだ。


東日本大震災から、4年が経ちました。
4年と言う月日が経過しても、
メディアがこの日の事を取り上げてくれるのが、
ありがたい限りです。
私が思い違いをしてるだけかもしれませんが、
阪神大震災の時は、
いつまでも震災について語ってるのは関西人だけで、
全国区の番組や、近畿地方以外の人の間などでは、
比較的早くに風化が見られた様な気がしましたが、
その後・・各地の多くの災害を経て、
『風化させてはいけない』という大義の元、
最近になって、阪神大震災も風化されなくなってきた感があるのですが・・
私ひとりがそんな風に思い込んでいただけでしょうか・・?
何が言いたいのかと申しますと、
そこで起こった凄惨な災害の記憶を風化させるのは、
災害に遭った当事者達ではなく、
その話をメディアなどから人伝に知った人達が、
過去の話として、まるで絵空事であったかの様に、
自然と忘れて行く・・
そういった現象なのだと思うのです。
それもまた、自然の流れなのでしょうが・・
それに逆らって、何度でも思い出し、その都度涙し、
あの日、どれほどの苦しみと悲しみと悔しさに、
心を痛め続けていたのか・・
そして今現在は、月日の経過と共に訪れるであろう、
また別の辛さと寂しさに心を苛まれているのか・・
どんな小さな事でもいい・・
もし知る事が出来たら、心に刻みつけて行こうと思っています。


震災のモニュメントをバックに、写真を撮っている人について、
苦言をされていた方がいらっしゃいました。
震災を忘れない為のモニュメントなんだから、
それだけを撮ればいいのに、どうして自分を入れるんでしょうね。
その行為は、震災を軽々しく受け止めている様に思えてしまいますよね。
それを聞いて、もっと酷い話を思い出してしまいました。
まだ震災直後の阪神大震災の話です。
ボランティアなどではなく、壊れた神戸を見に来ただけの人だったのでしょうか・・
倒壊した建物をバックにピースサインで写真を撮っていた人がいたそうです。
その倒壊した建物の下には、逃げ遅れた方の遺体があるかもしれない・・
そんな場所で写真を撮るなんて・・そんな話を聞いた事を思い出しました。
被災地のモニュメントを写真に撮りたい時は、
そこで起こった凄惨な記憶まで、その写真の中に封じ込めるべきだと思います。
震災モニュメントを残したくない被災者の方だってたくさんいるのに・・
何の為のモニュメントなのか・・
震災を知らない人、忘れたくない人の為のモニュメントなのに・・
あまり軽々しく触れないで欲しいと思いました。


まだ小さな赤ちゃんを失ったお母さんの話を聞きました。
生まれてから一度も、誕生日を祝ってあげた事がなかったそうです・・・
赤ちゃんは、津波に巻き込まれたまま、今も行方不明・・・
その後、ふたりめのお子さんが生まれて、
その子はすくすくと大きくなっています。
不幸のどん底にいたお父さんとお母さんにとっては、
希望の光の様な新しい生命・・
だけど、その子が大きくなるにつれて、
亡くなってしまった子にしてあげられなかった事が、
次々と出てくるのだそうです。
そうしたら、年月の経過とともに、悲しみを忘れるどころか、
また辛くなってしまうという、苦しみがあるのだそうです。
ふたりめのお子さんの写真はどんどん増えていくのに、
ひとりめのお子さんの写真は増えないまま・・・
そんな真綿で締め付けられるかの様な、辛い苦しみもあるのかと、
今回初めて知りました・・・。


震災から半年たった頃から、
亡くなられた方の霊が見えるとか、
海に近付くと肩が重くなるとか、
霊現象の様な症状を訴える方が出てきたと知りました。
私は霊については肯定的な方なので、単純にこの話を聞けば、
亡くなられた方が、いきなり命を奪われた無念を訴えたくて出てこられたんだな・・
・・と思ってしまいがちですが、
その話の根底には、亡くなられた方の無念というよりは、
亡くされた大切な方への想いが強すぎて・・
そしてそれが、あまりにも辛すぎて・・
そういった生き残った方々の、耐え難い心の苦しみが、
亡くなられた方の姿が見える現象となっている様な気がしてしまいました。
震災で大切な人を亡くされた方の想いがいかほどであるか・・
それが見えた様な気がしました・・・。


せっかく生き残れたのに・・生き続けて行く事が辛い・・・
・・と思われてる方の話を知りました。
自殺者が急増してる事・・・
特に、福島県の自殺者が多い事も知りました・・・
ああ・・・・きっとその人達は・・・
毎日、毎日が辛くて・・・
筆舌に尽くしがたい苦しみに囚われたままなんだろうなぁ・・・・
そんな辛さを抱えている人達を、
弱いなんて思ってない・・!!
甘えてるなんて思ってない・・!!
逃げてるんだなんて、少しも思ってないです・・!!!
だって私は、その苦しみがいかなるものかなんて、
想像すら出来ないんだから・・・・・・・
被災地で、強く生きてる人が偉いんだとか、
弱く自殺してしまった人が駄目なんだとか、
自分にはそんな事を判定する権利すらないです。
災害に遭った事も無いし、
理不尽に大切な人の命を奪われたりした事もない、
自分の住んでる家や、仕事場を、ある日突然失ったりした事もない・・
文字通り何もかも失くした事なんかない私には、
本当の意味で理解する事は、不可能の様に思えます・・・。
『生きていたら、きっといつかいい事があるから・・』
そんな言葉が、かなり安っぽく聞こえてしまう気がする・・
だけど、どうか生きて・・
いつか『生きててよかった』と思える日まで生きて・・
ほんの少しでも、微笑んだりできるまで、
生きててほしいなぁ・・・って思います。
誰の為でもない、その人本人の為に、
今を逃せば、もう二度とこの世界に現れる事のない、
大切な大切な命を、
どうか、少しでも長く大事にしてほしい・・・・・

震災は町だけじゃなく、
本当にいろんなものを破壊していくんだなぁ・・・
それを考えると本当に辛いです・・・


阪神大震災の被災者の方が、東日本大震災の被災者の気持ちを、
私達よりずっとずっとわかっていらっしゃるのを感じる事があります。
こんな言い方すると変だけど、
それが少し羨ましかったりするんですよね・・。
だけどそんな風になるには、
どれほどたくさんの人の命を喪って・・・
どれほどたくさんのものを失って・・・
数えきれないほどの悲しみを乗り越えて・・・
そこにはたくさんの怒りや悔しさもあって・・・
心がズタズタになるまで苦しんでから、
そこから必死で這い上がって、這いつくばらん勢いで生きてきた・・
それほどの思いをかかえ、乗り越えてきた人だけが、
被災して苦しんでいる人の気持ちが解る様になるんじゃないかって・・
そんな気がします。

一度は満身創痍になっても、強く生きのびてきた人って、
何だか光って見える気がします。
今も大きな傷が残ってるんです。それがカッコいいとかじゃありません。
ただ生きてるだけで・・人の生命力の強さを感じるんです。
ただ生きていらっしゃるだけで、同じ日本人として誇らしいです。


震災後、やっとの事で4年・・・
まだまだ見通しの悪い復興に、
絶望されてしまう事もあるかもしれませんが、
そこで立ち止まってしまってはゼロだけど、
ほんの少しでも動けば、それはゼロではない。
これから先もまだまだ長いんだろうけど・・
この先の未来を憂える事なく、生きていてほしいです・・!!


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2015

0117

今朝は先程、am5時ちょっと前に起きました。
いつもは寝てる時間ですが、
今日は5時20分には起きようと思ってました。
震災の起こった5時46分に、
震災番組を見ながら、手を合わせる為です。

関西テレビ(フジテレビ系)では、今日は4時25分辺りから、
『震災20年を見つめて』という番組が始まってます。
阪神淡路大震災の番組は、そのまま5時56分まで続きます。
9時55分からもお昼近くまで、また震災関連の番組が始まるのですが、
何となく、関西テレビが一番震災番組をしっかりやってくれる気がします。
ニュース番組や情報番組などで、
東北の被災地への復興支援を呼び掛けるのを、いつまでもやめなかったのも、
関西テレビだけ・・な感じでしたし。

まもなく・・・5時46分です。

1・17を象った竹灯ろうの周りには、
20年経った今でも、たくさんの方々がいらっしゃいました。
近くのビルには、1・17と20のカタチに、
明かりが灯された窓がありました。

5時46分・・・
手を合わせました・・・。

何を悲しい事を思い出した訳でもないのに、
自然と涙が出てきました・・・。

兵庫県神戸は、とっても強くて優しい人達がいっぱいいる、
とってもすごい街なんです!!
街もとっても素敵で、関西人の憧れです!!
とっても綺麗な街だったのに、
あの日、一瞬で壊れちゃって・・・

残酷な・・とっても残酷な震災でした・・・
たくさんの家や大きな建物が倒壊し、
その下敷きになって亡くなった方・・・
倒壊した建物に閉じ込められたまま、
近くで起こった火事に巻きこまれて焼け死んだ方・・・
折角、倒壊した建物から助け出されたのに、
クラッシュ症候群で亡くなられた方・・・
小さな子供の上に覆いかぶさるように守って、
自分は亡くなり、子供を生かした親・・・

先程見た、震災の番組でも、
こんなエピソードがあったので紹介します。

1月17日、震災の起こる3時間前に生まれた赤ちゃんがいました。
震災が起こり、近くで火事が起こり、
火の手が病院の方に向かって来そうだったので、
『いつでも、赤ちゃんを抱いて逃げる用意をしておいて下さい』
・・と、病院の方に言われ、
お母さんは赤ちゃんを抱いて、不安な時を過ごされてました。
その後風向きが変わったので、避難しなくてもすんだそうです。
そんな大変な時に生まれた赤ちゃんが、
今では立派な大学生となり、
東日本大震災の被災地へ、ボランティアに行ってるそうです。
自分の誕生日が大震災の日だから、
ずっとその事を胸に、新たに起こった震災にも、
心を寄せる事の出来る方になられてました。

まだ小さな妹のはるかさんが亡くなられた時、
お姉さんは、身を引き裂かれる様な思いだったそうです。
震災の起こった年の夏の事でしょうか・・
はるかさんが亡くなられた場所から、
たくさんの、ひまわりの花が咲きました。
はるかさんが可愛がっていたオウムの餌のひまわりが、
芽を出したのだそうです。
だけど、まるで亡くなられたはるかさんが起こした、
奇跡の様な話に思えました。
はるかさんのお姉さん達は、そのひまわりの種を、
子供達などに配って、広める活動をしていらっしゃいました。

震災の記憶を伝えるモニュメントは、
その後どうなったんだろうと思ってましたが、
今でも残されてる様です。

神戸には、小学生の様な小さな子供でも、
災害があれば、ボランティアに行きたいと、
しっかり答えてました。
あの日、震災遺児となった子供が、
今では東日本大震災の震災遺児の力になろうとしている話もありました。
あの日からこの街が、20年かけて培ってきた、
防災意識と、困った時に助け合おうとする優しい心が、
こういう子供達を育ててきたんでしょうね。

大きな災害があると、
いろんな事が変わってしまう・・・
大切な人がたくさんいなくなってしまったり・・・
街の様子が大きく変わってしまったり・・・

だけど悪い方向に変わる事ばかりじゃない・・・
いい方向に変わる事だって、たくさんあるんだ・・!!
今の強い神戸を見てると、そんな風に思えてきます。


後で知ったのですが、
福島県など、東北3県でも、5時46分に
ハート型に1・17をロウソクの火で象り、
黙とうしてくれてた事を知りました。
神戸と東北の、同じ悲しみ、同じ復興にかける思い、
様々な思いが、通じ合っている様に感じました。
何よりも、その事実に感動しました・・!!

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