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2018

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2010

0117

昨日、
『神戸新聞の7日間 ~命と向き合った被災記者たちの闘い~』
・・っていう、
震災当時の神戸新聞の記者達の話のドラマ化を観てました。

あの日の朝、震度7の地震に遭って、
新聞を作る会社そのものが壊滅状態だったにも関わらず、
京都新聞に協力してもらいながら、
みんなで必死で駆けずり回りながら、
悲惨な想いをしている被災者にカメラを向ける事が申し訳なくて、
カメラマン自身も心に傷を負いながら写真を撮って・・・
ボロボロになりながらも、必死で新聞を作り上げていた・・・

そんな話でした。

自分達の街が、戦場の焼け野原の様に燃えている姿を
写真に撮らなければいけない・・

倒壊した家の下敷きになった人が助け出された・・
感動の名場面を写真に撮りたかったのに、
助け出された人は既に息絶えていた・・

家族や友達が死んでしまった社員もいた・・

毎日、悲惨な状況をカメラにおさめているうちに、
心が傷付いてしまったカメラマンがいて・・

みんな、どれほどの辛い想いで、
新聞を作っていたんだろう・・と思いました。

カメラマンの悲惨なエピソードの中で、
特にショックだったのが・・
小中学生くらいの男の子が、
瓦礫の中からガサガサと、何かを探していて、
カメラマンが声をかけてみると、

『お母さんを探しとるんや』

・・と返って来たので、
カメラマンが、お母さんは・・と、辺りを見回していたら、
男の子はタライの様な入れ物を差し出して、
その中に入った、真黒に焦げた人の骨を見せながら、

『これがお母さんや・・・』

・・・・・・・・・・男の子は・・・
瓦礫の中から、焼け死んだ母親の骨を探してたんです・・・。
まるで・・・
戦場の中にいる、戦災孤児の様だと思ってしまいました・・・。
こんな残酷な事が、ほんの15年も前に、起こっていたんです・・・。

カメラマンは、母親の御遺体に頭を下げながら、
震える手で、シャッターをきりました。

このカメラマンがこの子に出会わず、
写真も撮らず、何も伝えられなければ、
こんな悲惨な話を知らないままだったでしょう。
その写真は、その時の神戸新聞には使われなかったのかもしれませんが、
あの震災で、ここに住んでいた人たちが、
一体どれほどの想いで苦しんでいたかという事は、
伝えて行くべきだと思いました。

あと・・
いつも読んでる京都新聞が、
神戸新聞を助けてくれた事を知って、
何だか嬉しかった・・vv
緊急事態には助け合うって約束・・
同じ新聞屋さんとして、志は同じって感じで、
すごく素晴らしい事ですよね。

そう言えば、震災の日からしばらく、
この新聞を捨てちゃダメな気がして、
新聞を大事にとっておいてたなぁ・・・
あの時の新聞・・まだどこかにあるかな・・・?

 

今日になって、テレビのニュースでは、
震災の時間に黙とうする人達の姿が映ってたんですが、
涙を流してる人を観て・・・
15年という年月は、
普通に考えれば長い時間だと思うけど・・
被災して、大事な人を喪った人達にとっては、
あの日の悲しみに、時間は関係ないんだと知りました。

昨日まで元気だったのに・・
ある日いきなり、大事な人が死んでしまう・・
やってあげたい事もあったし、言いたい事もあったのに、
どうする事も出来ないまま帰らない人になってしまった・・
しかも、震災の混乱の中、
すぐに助け出してあげる事も叶わずに、
満足に弔ってあげる事すら出来ずに、
とにかく、生きているものは、生きなければ・・!!
その想いだけで、生きるしかなかった。
どんなに辛くても、前を向いて進むしかなかった・・。

その辛い想いを癒すのに、
たったの15年では、とても足りない・・

あの被災者の方の涙は、
それを語っていたのかな・・って、思いました。

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あの日の私は・・・

冬の朝の6時前なんて、
普通なら目を覚ましたりしない筈なんですが・・
人間にもやっぱり、動物的な勘ってあるんでしょうか?

今でも覚えてる・・

目が覚めたら、ゴー・・っていう音が聴こえてきて、
その直後に、ガッシャンガッシャンガッシャンガッシャン!!!
・・と、もの凄く家が揺れて・・
しばらく放心状態だった気がするんだけど、
あまりにも地震の揺れが酷くて、しかも長く感じたので、
『これ以上揺らしたら、家が壊れてしまう・・!!』
・・と、恐ろしくなってきて・・
その時の揺れというのが、
冗談の様な例え方で、申し訳ないんだけど、
(本人的には、決して冗談じゃないんです☆)
怪獣が家を掴んで、思い切り揺らしてる様な・・
『これ以上揺らしたら、家が壊れるからやめて!!』
そんな感じの事を必死でお願いしていた気がします。
(いえ決して、怪獣にお願いしていた訳ではありません☆)

揺れがおさまって・・
しばらくベッドの上で放心状態で・・
怖くて怖くて、起き上がる事が出来なくて・・
どのくらいそうしていたのか覚えてないんだけど、
必死で起きあがって、
地震だから、テレビ・・
こんな大きな地震、震度何だったんだろうと、
テレビを見たら、
他の地域は、震度4とかで、
京都にだけ、震度5・・と出ていて、
どう考えても、震源地は京都だ・・!!
・・と、その時は思い込みました。

後で聞いた話、
神戸はあまりにも壊滅状態だった為に、
震度が何だったか伝える事すら出来なかったとか・・
やっと神戸が大震災にあったという情報が入った後でも、
しばらくの間は、震度6と出てたような・・
震度7と改正されたのは、結構、後の事だったような・・。

その日の夜、寝ようとしてベッドに横になると・・
朝の揺れがフラッシュバックするのか、
また揺れてる様な気がして・・すごく怖くて・・
ふと気が付くと、自分の心臓がバクバクいってるだけで、
全然揺れてなくて・・
こういうのも、軽いPTSDみたいなものなんでしょうか?
神戸は震度7で、この地震に遭っただけで、
PTSDになった人がいたとか・・
京都は震度5・・家は壊れたりしなかったし、
少なくとも、私の部屋で壊れたものはありませんでした。
それでも夜になってベッドの上に横になると、
あの朝の事を思い出してしまって、すごく怖かったんです。
震度7に遭った人は、どれほど怖かっただろうと思います。

その日から毎日、
テレビでは、普通の番組をやらなくなって、
毎日、毎日、震災の報道を観ては、
可哀想過ぎて、泣いてばかりいました。
京都新聞には、ものすごく残酷で可哀想な記事が載っていた事を、
今でも覚えています・・・。
新聞の力って、凄いな・・と思ったのが、
あれだけテレビでいろんな姿を観て、その都度泣いていたのに、
一番心に深く残ってるのは、
新聞の記事の中のひとつだったりするんですよね。

どんなカタチでもいいし、私なりの記憶でもいいから、
あの日の事は、忘れないでいようと思いました。

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