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2024

0503
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2013

0311

お久し振りです。

前回の更新から丸一年・・・
何もブログに書く事が出来ず、無駄に時間を過ごしてしまいました。

この一年、何も書く事が無かった訳ではありません。

前回の、震災一年後についての記事を書いた後、
震災にいろんなカタチで関わった方の事を書いたつもりだったのに、

ボランティアをして下さった方々の事を書いてなかった事について、
しばらく後悔してました。

遅くても、その事について何か書こうかと思いましたが・・

ボランティアの方々は・・
自費で、まだ危険な被災地に赴き、
自分の危険も顧みず、何一つ見返りも求めず、
・・唯一求めるものがあるとすれば、
それは、自分が被災地の人々にとって、
何か一つでも役立つ存在である事。

そんな至上最高の、無償の愛を与えに行った人達の事を、
何の役にも立ってない私なんかが、
何を語る事が出来るのか・・・

何も出来ない無力な自分を責めながら、
何かから逃げていただけなのかもしれませんが・・

それでもこの一年、
毎日の様に、東北の事を思ってました。
思うだけでは、何の役にも立ちませんが、
忘れたフリをするよりはいい・・その程度なんですけどね。

東寺(京都)の弘法市に行った事があるのですが、
お坊さんが東日本大震災の義援金箱を下げて、般若心経を唱えられています。
お金を入れて、被災地の復興を思って手を合わせてお辞儀すると、
お坊さんもお辞儀をしてくれます。
東日本大震災復興祈願・・と書かれた、立派な祭壇もあります。
東寺からは、弘法大師様が被災地を見守って下さっていると思います。

テレビで、石神第一小学校の子供たちが歌う、
『福島から伝えたい』という歌を聴きました。
子供たちに、
ポジティブな気持ちはピンクの紙に、
ネガティブな気持ちはグリーンの紙に、
いろんな言葉を書いてもらって、その言葉を紡いで作った詞に、
先生がメロディをつけてくれた、素晴らしい歌です。
大好きな福島への思い・・
健気で、いたいけな子供たちの、切なる気持ち・・
世界中からのあたたかい思いに、感謝する気持ち・・
様々な思いに、心を打たれる詞に、
すごく素晴らしいメロディがつけられていて、
何度聴いても泣けてしまう歌です。

この歌について詳しい事は、
こちらを御覧下さい
⇒ 福島の未来を音楽でつくる会


さて本日・・
3月11日 14:46・・・
手を合わせて黙祷してみました。

今も海の底で眠っている、
家族の元へ帰れない御遺体の事を思って、
どうか・・・
今は家族の元へ帰れなくても、
魂だけは天上へ上がって、
東北が復興していく様を、そこから見守っていて下さい。
・・そんな風に祈っていると、
無性に悲しくなって、涙が出てきました。

遺体捜索・・・本日も行われていたみたいですね。
大変なお仕事ですが・・
どうか、少しでも早く、最後のひとりまで見つかります様に・・


震災の日から、2年が経ちましたが・・・

この2年を、
長いと感じられた方も、
短いと感じられた方も、
きっと無我夢中で生きてこられたからだと思います。

最初の1年は、生きていく事だけで精一杯で、
次の一年は、助けてくれる手や、心を寄せてくれる人が多ければ、
辛うじて生きていけるかもしれない・・
でもその後は・・・
次第に減って行く大震災への関心度・・・
まだまだ必要なのに、減って行くボランティア・・・
そんな寂しい思いをしていても、
もう政府や親切な人を宛にする訳にはいかないと、
自分を奮い立たせて頑張る人もいるでしょう。
だけど、家族をたくさん亡くされた方や、御老人などは、
悲しみ、寂しさから立ち直る事が出来ず、
気持ちを奮い立たせる事も出来ずに、
生きていく事を、諦めてしまわれる方もいらっしゃるかもしれません・・・・・・。

震災2年後・・・
ここからが長い長い戦いの始まりなのかもしれません。

どうか負けないでほしい・・

負けないでほしいけど・・・

何一つ助けてあげられない自分が歯痒い・・・
私の住む街は、震災瓦礫処理の受け入れを拒否しているらしい・・・

そんな状況を知った、被災地の人達は、
何が絆だ・・・と、悲しまれている話も聞きました。
私達は、遠い場所で勝手に思いを寄せていても、
所詮それは、安っぽい同情にすぎないんですよね。

いえいえ、解っています。
所詮その程度の同情でも、しないよりはマシ・・・。
だけど、自分個人の無力さを感じずにはいられません。

もし私の住む街が、何らかの災害で被災する事があったら、
きっとたくさんの優しい人が、助けてくれる事と思います。
被災地の現状は、決して他人事ではないのだと、
強く肝に銘じたいのですが・・・・・・。

福島の除染作業・・・
気の遠くなる様な大変さですね・・・。
小学校の除染作業などは、
学校の先生や、親達が頑張っている姿を見ました。
屋根の瓦を一枚、一枚、濡れた紙で丁寧に拭いている姿も見ました。
一度拭いた紙は、放射能がついているので、
その都度捨てなければいけないのだそうです。
また、濡れた紙はとても冷たく、辛い作業なのだそうです。
庭の土も入れ替えなければいけません。
除染の為に瓦を拭いた紙、
除染の為に掘り起こした土、
除染の為に使った水、
全て放射能廃棄物として、処理できないまま、
袋に詰められているようです。
震災瓦礫は受け入れてもらえず、
放射能廃棄物ばかりが増えていく一方で、
一体、本当の復興はいつになるのか・・・・・・

それでも・・・

途中でやめてしまえば、大好きな街に帰る事ができないから・・・

きっと悔し涙を飲んで、歯を食いしばって、

いつか、元の姿を取り戻す為に、
これからも頑張り続けるんでしょうね。

頭が下がります・・・。

そんな姿に対して、
頑張ってとか、負けないでとか、
どんな言葉も、安っぽく思えて、
正直、言葉が見つかりませんが・・・

やっぱり・・負けないでほしいです。

福島を応援する歌・・
先程紹介した『福島から伝えたい』や、
猪苗代湖ズ の『I love you & I need you ふくしま』など、
大好きな福島を想う歌がありますが、
他の地方へ自主避難された方達にとっては、
福島を捨てたみたいで、辛く聞こえるそうなのです。

・・・その人の気持ちになってみないと、
解らない事って、たくさんありますよね・・・。
その人達を責める為に作られた曲じゃないって、
もちろん解っていらっしゃるんでしょうが、
そんな理屈では解決できない辛さがありますよね・・・。

それもひとつの、
サバイバーズギルト的な考えに陥ってしまった・・・
・・という事なのでしょうね・・・。

どうか、気にしないでほしい。

福島から避難したからって、
逃げただなんて思わないでほしい・・・
捨てただなんて思わないでほしい・・・
只、生きていてくれたら、それだけでいい・・!!

折角、生かしてもらえた命なんですから、
生きる場所はどこだっていい。
生きてさえいてくれれば。
他の土地で、永住を決めた人がいる・・
昨日読んだ新聞にも、そんな事が書いてありました。
どこを終の棲家にしようとかまわないと思う。
大好きな福島に、思いを馳せてさえいれば・・
そしてこの先ずっとずっと生き続けて、
いつの日か、元に戻った福島を見届けてあげましょう。
きっとその時福島は、
『おかえり』と言って、迎えてくれると思います。

みんな本当に・・・
様々な想いをして、辛さや、寂しさに耐えて・・
それでも頑張って、生きてるんだなって思いました。

そう言う事考えてるだけで、涙が出てきちゃうんですが・・

こんなに遠くで、ひとりで勝手に泣いてても、
何の力にもなれない・・

でも、役立たずが勝手に、見守っています。

東日本大震災で、辛い目に遭われたみなさんへ・・・


遅くなり過ぎたけど、
拍手のお返事です

拍手[2回]

2012

0311

去年の3月11日、
東北を中心に東日本では、
筆舌に語りつくせない程の悲劇があった・・・

あの日から、今日で1年・・・

東日本大震災を忘れる日は、一日もありませんでした。

このブログの更新はさぼっていますが、
⇒『気仙沼市立階上中学校卒業式答辞』の記事
・・こちらの記事へ頂いた、拍手メッセージのお返事は続けています。
(拍手ボタンを押していって下さった方も、本当にありがとうございます)

東日本大震災が起こった直後は、
どんなに未曾有の大災害でも、
時が経てば、次第に忘れられていくかもしれない・・・
そんな無駄な心配がありましたが、
この一年間・・
各テレビ局は、本当にたくさんの震災報道番組を放送し続けてくれたし、
今でも番組の最後に、
被災地への義援金のお願いをしている番組もあります。
関西のニュース番組『スーパーニュースアンカー』では、
アンカーマンを務める山本浩之アナウンサーが、
キャスターの仕事を他の人に任せて、
3.11までの1ヶ月間、各被災地から現地の様子を報道されてました。
(関西人は1.17の事もあり、被災地への関心が高いです)
おかげで、被災地で頑張る人の姿や、
未だに復興の進まない被災地を知る事が出来たし、
いつも被災地を忘れずに、心を寄せ続ける事が出来た気がします。

これらのテレビの報道のおかげでしょうか?
今回の大災害は、世界レベル的に、
あまりにも被害が大き過ぎたせいでしょうか?
1年経った今も、日本中のみんなが変わらず、
被災地に心を寄せている事が嬉しいです。
この思いを決して忘れずに・・
いつの日か・・
そこが昔、被災地だったことすら、覆い隠せるほどに、
見事な復興を遂げる事が出来た日がきても・・
それでも、3.11の悲劇は忘れない・・・
この先、何十年経っても、忘れないでいたいと思います。


この一年は本当に・・・

いろんな事がありましたね・・・

先程、被災者を励ます為の歌番組を観ていましたが、
SMAPが歌っていた、『世界に一つだけの花』を聴いていたら、
震災直後にSMAPが歌った、この歌の事を思い出しました。
日本中・・世界中が悲しみに包まれていたあの頃・・・
『世界に一つだけの花』を歌うSMAPが、
心の底から、被災者への思いを込めて歌っていたのを、
その歌声とか、表情から、ひしひしと感じる事が出来ました。
普通に聴いても、とってもいい歌ですが、
あの時SMAPが心から心を込めて歌った『世界に一つだけの花』が、
一番最高だった様に思えます。
(・・って、先程聴いたのが、ダメだった訳じゃないんですけどね)


自衛隊の方が、自らも被災者であるにも関わらず、
必死で救援活動をされていた事に、頭が下がります。
助けられた方々にとっては、命の恩人ですよね。
これ以上の功徳を積む方法があるでしょうか・・
素晴らしいお仕事ですよね。
津波に流される被災者の方の命を救ってくれた。
他にも助けを求めてる人を見つけると、
危ない場所へ飛び込んでいって、
夜通し、たくさんの人を助けてくれた。
救援物資を避難所に運んでくれた。
確か、宮城県の志津川高校だったと思う・・
校庭に書かれた、『HELP』の文字と、ヘリポートのマーク。
そのヘリポートのマークの上に、自衛隊のヘリが降下していくのを見た時、
何だか嬉しくて、感動しました。

遺体捜索・・・
これが一番、辛いお仕事だったでしょうね・・・
まだ若い隊員さん達は、
お葬式などで、人の御遺体を見た事すらない人もいたそうで・・・
お布団の上ではなく、
瓦礫の散乱する中や、倒壊した家屋の下敷きとなった方、冷たい水の中・・・
そんなところで、無残に亡くなられた方を探すお仕事・・・
御遺体を見つける度に、精神が参ってしまう事よりも、
御家族の方が喜んでくれる事を思い、
必死で捜索活動をされていたという話を聞きました。
辛かったでしょうね・・・・・・

被災者の為、被害者の為・・
辛い仕事をしている自衛隊の方々を慰める為に、
長渕剛さんが、激励ライブをされた話を聞きました。
参加された隊員の方が、そこに参加出来なかった、他の隊員の事を思い、
申し訳ない気持ちで参加しながらも、

「被災者のために立ち上がった日本人がいた。抱き締めたくなった」
「みなさんに、会いたくて会いたくて、たまらなかったよ~」
「この国が絶望に伏して、もう日本はダメだと思ったけど、
みんなの勇姿…そこに日本があった。
日本の誇り、僕の大事な大事な誇りです」


長渕さんの、自衛隊のみなさんへの言葉に感動して、涙ぐみながら、
みんなで肩を組んで声を合わせて歌っていた姿を見ました。

自衛隊の方々・・・
海上保安庁の方々も・・・
被災地のあまりの惨劇に・・・
精神的にはギリギリだったんだろうと思います・・・
被災者の方々の為に、被害者の方々の為に、
本当に一生懸命、助けてくれてありがとうございます。
これからも頑張って下さい。


外国から、たくさんの手が差し伸べられてましたよね。

真っ先に駆けつけてくれた、近くの韓国・・

アメリカ軍のOperation Tomodachi(トモダチ作戦)・・

とてもたくさんの義援金を用意してくれた台湾・・
台湾から頂いた東日本大震災の義援金は、世界で一番多かったそうです。

レディ・ガガさんが、いち早く義援金の為のブレスレットを作って、
自らも、ものすごく応援してくれた事・・
韓国の俳優さん達も、ヨン様をはじめ、たくさんの義援金を送ってくれましたよね。
世界中の有名人の方が、
東日本大震災の被災者に、温かい手を差し伸べてくれた・・
どうかこの行為を、売名行為だとか、汚い言葉で罵らないで下さい。
どんなお金でも、人の為に使われるお金には、愛がこもっています。

ローマ法王も、東日本大震災の被災者の為に、祈ってくれましたよね・・

ブータン王国の国王様夫妻が、福島を訪問されましたよね。
その少し前には、同じブータン王国のティンレイ首相が来てくれて、
福島の小学校で、子供達と給食を食べてくれたとか・・
確か・・福島の給食を食べる事で、
福島の安全を、世界にアピールしてくれたのだと聞きました。
ティンレイ首相の深い思いやりに、ものすごく感動しました。

東北の被災者の為に泣いてくれた、世界中の方々・・
日本がこんなにも愛されている事に、改めて感動すると共に、
手を差し伸べてくれた方々に、心からありがたいと思いました。


被災地の方々の苦しみを、
私もしっかりと理解したいと思い、
震災報道番組などで、恐ろしい津波の映像を見ました。

恐ろしかった・・・・・・・・

海を見るのが大好きだったんですが・・
大好きな海を、あんなに恐ろしいと思ったのは初めてです・・・
スマトラ沖地震の津波の映像も、恐ろしいと思いましたが、
東日本大震災の津波の方が、何倍も恐ろしく感じました。
自分の人生で、
阪神大震災より恐ろしい大災害は無いだろうと思い込んでいましたが、
まさか生きている間に、それ以上の大災害が日本で起こるなんて、
考えてもみませんでした。
津波の映像は、テレビで見ている自分でも、
あまりの恐ろしい光景に、震えながら、涙ぐみながら見てましたが・・・
実際にあの場にいた方々は、一体どれほど苦しまれたのかと思うと、
心がちぎれそうです・・・・・・。

被災地と被災者に、心からの同情を寄せたいと思う・・
でも、どうせ自分は、本当の苦しみなんか理解出来る訳がない・・
もし自分が住んでいる街が津波に飲みこまれてしまったら・・
街が廃墟と化してしまったら・・
街を歩きながら、そんな想像を何度もしてみました。
・・想像してみたところで、
自分が安穏とした場所で暮らしている事に変わりは無く、
そんな自分にも解った事と言えば、
当たり前の暮らしが出来る事が、どれほど幸せかという事くらいで・・
あの苦しみ、悲しみを100%理解したければ、
あの場に居合わせる事以外に方法が無くて・・・・・・

なんでそれほどまでに被災者の気持ちを理解したいのかと言えば、
自分の心に、『3.11を忘れるな!!』と、胸に刻みつけたいが為で・・
きっと・・1.17の阪神大震災を忘れない自分は、
東日本大震災の事も、忘れない自信がある・・
だけど・・それでも・・
悲しみや苦しみを理解してあげたい・・もっと・・もっと・・・・

それが、『被災地を助けてあげたい』という思いに変換できる筈だから。

3月11日・・この日を忘れない・・・。

たくさんの人が、幸せに暮らしていた街が、
一瞬のうちに、津波に飲みこまれた事を忘れない。

たくさんの大切な大切な命が、
無残に奪われていった事を忘れない。

原発による放射線被害で、
大切な故郷を復興する事はおろか、家に戻る事すら出来ない、
福島の方々の、怒り、悲しみ、憤りを忘れない。

仮設住宅にて、不便な生活を強いられていて、
満足な仕事を見つける事が出来ず、
生活に苦しんでいる方々がいる事を忘れない。

私達が、少ない義援金をいくら送ったって、
まだまだ全然足りてない事を忘れない。

テレビで見かける被災地の方々は、
みんな笑顔で前向きに頑張っている姿を見せてくれている。
でも、その心の奥底には、大きな傷を負っている事を忘れない。

忘れてはいけない事・・
他にもたくさんあると思います。
それをもっと知る為にも、

東日本大震災を忘れない。

これからも、心を寄せていきたいと思います。



遅くなり過ぎたけど、
拍手のお返事です

拍手[3回]

2012

0111

2012年最初の記事になりますが、
今頃新年の挨拶をするのもなんだかなぁ~・・って感じなので、省略します。

去年の紅白を思い出すと、
震災に遭った被災地を応援しようという気持ちのこもった歌が、
何気に多かったような気がしました。

紅白をやってる間は、
ブログに、2011年最後の御挨拶記事とかを書きたくて、
テレビを観ながらも、神経がブログの方に集中してて、
まともに紅白を見れてなかったのですが、
猪苗代湖ズ の『I love you & I need you ふくしま』が始まった時、
画面に釘づけになりました・・

『福島が好き・・!!!!!』

日本中に響き渡る様な、魂から絞り出された声・・・

涙が止まりませんでした・・・

大切な大切な生まれ故郷を、放射線で汚されてしまって、
どんなに辛いだろう・・・

福島から避難してきた子が、
心無い子に、汚いもの扱いされた時、
どんなに悔しかっただろう・・・

帰りたくて帰りたくてたまらない心を抑えて、
どんなに寂しく毎日を過ごしてるんだろう・・・

福島に何があっても、福島が好き・・・

心の叫びを聴いて、魂を掴まれた様な気がしました。

福島県民が全員、笑って帰れる日が来るまで、
歌い続けてほしいです。

紅白を、いい加減に見ていた私が、
こんな事を言うのはダメかもしれませんが・・
2011年の紅白は、どんなに綺麗な人の、どんなに綺麗な歌声より、
この歌が一番心に響きました。

 ⇒猪苗代湖ズ『I love you & I need you ふくしま』


今日で震災10カ月です・・・

10か月という月日は、長く感じますが、
始まったばかりの復興には、まだまだ全然足りない月日です。

未だに見つからない御遺体を、必ず全員見つける覚悟で、
海底を捜索されている海保の方の映像を見ました。
浜辺を歩いていて、人の骨らしきものが見つかった映像も見ました。
何一つ見つからないより、体の一部でも見つかればいいかもしれない・・・
だけどこの、あまりの残酷さを・・・
何と言って語ればいいのかわかりません・・・
どうかみなさん、御家族の元へ戻れますように・・!!
海保のみなさん、頑張って下さい!!

年始と言えば、年賀状がつきものですが、
17年前に阪神大震災で被災した神戸から、東日本大震災の被災地の方に向けて、
年賀状を送ろうという企画があったようです。
3000通以上の年賀状が集まり、ハガキがぎっしり入った重い鞄を抱えて、
被災地まで持っていって、仮設住宅を1軒、一軒回って配られてました。
心のこもった年賀状を貰って、
涙を流して喜んでいらっしゃる被災者の方がいました。

 ⇒真心込めた“年賀状” 神戸発被災地宛ての元気メール

本当に、神戸の人には頭が下がります・・。

以前、神戸女子大学の学生のみなさんが、仮設住宅に使う表札を、
かまぼこの板にデコレーションして作った話も聞きました。
私が見たかまぼこ板の表札は、
心が温かくなる様な、可愛いデザインのものばっかりでした。

 ⇒学生が授業で東日本大震災の仮設住宅用に「かまぼこ板表札」を作成

どんな事が、被災者の方が喜ばれる事か・・
いろんな方が、いつも考えていらっしゃるんだろうなぁって・・
本当に、心が温かくなります・・。

そう言えば、
今日のアメーバーピグでは、こんなサイトが立ち上がってました。

 ⇒LIFE311 moreTrees 被災地支援プロジェクト withピグライフ

震災から10か月が経ちましたが、
どのテレビ局も、被災地の様子を伝えるニュースを続けています。
津波の映像を見てしまうと、
3月のあの日に引き戻されてしまいますが・・
あの場にいなかった私達は、あえてその映像を見て、その悲しみを思い知って、
被災地を応援しようと思う気持ちに変えていくべきだと思いました。

被災地の復興と支援は、まだまだ始まったばかりです。
(始まってさえいないところもあるでしょう)
もっともっと、これからも心を寄せていきたいと思います。

拍手[1回]

2011

1231

2010年の終わりに、福山雅治さんの
『心color ~a song for the wonderful year~』を訊いた時は、
2011年という年に、明るい希望をもてる気がしてました。

だけど・・2011年という年は、

3月11日に東日本大震災が起きて・・

各地でも、台風などの大災害が起きて・・

たくさんの大切な命が奪われたり・・

町が壊されてしまったり・・

そんな悲しい事がたくさん起こってしまった年でした。

それでも・・

なでしこJAPANが優勝したり、いい事もちゃんとありましたよね。

最近だと、
浅田真央ちゃんが、お母さんの死を乗り越えて、
金メダルを受賞出来た事が、涙が出るほど嬉しかったです。

大阪の橋下市長が誕生した事も嬉しかったです。

このブログにて、⇒こちらの記事へ
ものすごくたくさんのアクセスがあり、
200を超える拍手と、たくさんのあたたかいメッセージを頂けた事が、
とても嬉しく、ありがたい事でした。
この記事を読んで下さった全ての皆様、本当にありがとうございました。

それと、関西では12月19日から節電なので、
節電出来ない小さい子や、お年寄りの分も頑張ろうと、節電してますが、
その19日から、『中部電力』が関西電力へ送電してくれるって、
京都新聞に、その記事を見つけた時も、
他の地域から助けてもらえるなんて、ものすごく嬉しかったです。

やっぱり助け合いって、とっても幸せだし、とっても大切ですね。

2011年は、あとほんの少しで終わってしまいますが・・

今年の悲しみは、一生忘れずに・・

その悲しみの中から生まれた幸せのカケラも忘れずに・・

今後の人生の教訓としていきたいと思います。

来年こそは、みんなが笑える年でありますように・・・

どうかよいお年を・・!!


拍手[3回]

2011

0911

今日、9月11日で、

東日本大震災から半年・・・

同時多発テロから10年・・・

11日という日付が重なった事で、
過去に起こった、ふたつの大きな不幸を、
各局が先を争う様に報道していた・・・

同時多発テロの犠牲者を悼むテレビを見ていたら、
『仕事が決まったんだ。どこだと思う?ワールドトレードセンターだよ!』
・・と、嬉しそうに奥さんに報告していた旦那さんが、
それから6年間、たくさんの夢と希望の為に頑張って仕事をしていて、
あの事件に巻き込まれて命を落としてしまったという話を聞いた
どうして・・こんな人の命が奪われてしまったんだろう・・・

自然災害で命を奪われるより、
人災の方が、耐え難い憤りがあるのかもしれないけど・・・

大切な人の命を奪われた悲しみに、変わりはないだろう

同時多発テロの犠牲者の遺族は、
10年経っても、未だにその苦しみから逃れられない様子だった・・・

16年前の、阪神大震災の犠牲者の遺族も同じだろう・・・

年数なんか関係ない・・
この深い悲しみは、10年やそこらでは癒えないほどの、
一生続く悲しみなんだと思った・・・・・・・・・・

東日本大震災から半年経って、

もうあれから6カ月も経つのか・・・と思ったけど、
ある意味、その悲しみは始まったばかりなのだとも思った・・・・・・

復興もまだまだ始まったばかり・・
阪神大震災の復興計画は10年だったと知ったが、
それでも足りなかったという話も聞いた

それならば・・・
東日本大震災の復興計画は、一体何年かかるんだろう・・・
地震と津波による大災害だけではなく、
福島の原発と、汚染された地域の事も考えると、
一体どれだけの年数がかかるのか・・・
ど素人の頭で、ちょっと考えただけでも、心が痛む・・・・・・・・・・

テレビで、DASH村の映像を見て、
放射線に汚染されてしまった畑の現状に、心が痛むと同時に恐怖を感じた
TOKIOの山口くんは、危険な場所に、よく2回も行ってくれたと思う
またここで、DASH村をやる気満々の姿に感動した
DASH村に植えたひまわりが、
放射線除去を頑張ってくれる事を期待している・・!!

テレビで、福島の高校生の女の子が、
福島を、すごく誇らしく、とても愛しているという様な事を訴えている映像を見た
ちらっと見ただけで、肝心の素晴らしい言葉をしっかり聞けなかったけど、
・・・すごく神々しく見えた・・・

福島県民のみんなも、思いは同じなんだろうと思った
放射能で汚染されてしまうなど・・・
あんなに酷い目に遭わされても、それでも福島を愛している・・!!
自分の生まれ育った町を愛している・・そんなの当たり前だと思っても、
それでも感動せずにはいられなかった・・・
その気持ちを大切に・・・
諦めずに、福島を愛でていてほしいと思った

台風12号によって、被災地と化してしまった和歌山に、
宮城県から救援物資が運ばれた事を知った
たくさん積まれていたコシヒカリの袋を見て、
貴重な古米を送ってくれたんだとわかった
東日本大震災の時、和歌山県新宮市が救援物資を送ったそうで、
きっとその御恩返しなんだろうと思うけど、
宮城県も被災地なのに、大切なおいしいお米を送ってくれるなんて・・・
こんなやり取りの中にも、人の心の優しさや思いやりを、深く感じた・・・



今日の一日だけでも、
様々な人の悲しみと、前進しようとする努力と、優しさと思いやりと・・・
いろんな姿を見た

当事者たちにとっては、きっと何十年たっても風化する事のないこの想いを、
私達の中でも風化させたくないと、強く思った

頑張ってほしい・・・悲しみに耐えてほしい・・・!!!
いつか、心から笑える日が来るまで・・
どうかどうか・・・

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